新任1年目の4月が終わり、あっという間にゴールデンウィークも過ぎてゆく。久々にnoteの投稿をば。 前回は拙論の第一章についてご紹介した。 今回は第二章である。 第二…
今回は拙論の第一章をご紹介する。 第一章は「大国隆正と地域社会とのかかわり方—学問的つながり—」と題し、近藤家宛大国隆正書簡の分析を中心に、隆正と地域社会との間…
前回は、私が研究対象として選んだ「大国隆正」が『歴史で読む国学』でどのように紹介されたのかについてと、大国隆正研究の簡単な概要について述べた。いよいよ、拙論の本…
前回まで連続して3回、『歴史で読む国学』の簡単な要約とその所感を書いてきた。今回から扱う章は、私の卒論と深くかかわるテーマであるので、趣向を変えて僭越ながら、拙…
第三弾となる今回は、第5章・第6章についての雑感を述べる。 この連続する二つの章は、一戸渉先生がご担当で、確立期を経て、国学がどのように広がっていったのかを、当…
前回に引き続き、『歴史で読む国学』の雑感を述べる。 今回は松本久史先生がお書きになっている第2章から第4章を取り上げる。 まさに国学史の前半生に当たる時期だが、荷…
この3月に国学史を語るために必須の入門書が世に出た。國學院大學日本文化研究所編『歴史で読む国学』(ぺりかん社、2022年)である。 私はこの意欲的な著作をtwitter上…
タカマサ@地歴公民
2022年5月8日 20:59
新任1年目の4月が終わり、あっという間にゴールデンウィークも過ぎてゆく。久々にnoteの投稿をば。前回は拙論の第一章についてご紹介した。今回は第二章である。第二章は「大国隆正と地域社会とのかかわり方―血縁的つながり―」と題して、大国隆正の養子野々口正武の播州小野での機能について考えた。野々口正武は、徳島藩士長手武政の子として生まれたのだが、才覚を隆正に見出されたのだろうか、養子として
2022年4月17日 10:10
今回は拙論の第一章をご紹介する。第一章は「大国隆正と地域社会とのかかわり方—学問的つながり—」と題し、近藤家宛大国隆正書簡の分析を中心に、隆正と地域社会との間に「学問的つながり」がどのように形成され、どのような意味をもったのかを検討した。検討に用いた近藤家宛大国隆正書簡二通は、小野市立好古館に所蔵の未翻刻の書簡であった。そのため、研究の第一歩はこの二通の書簡を翻刻することであった。翻刻の後
2022年4月9日 22:16
前回は、私が研究対象として選んだ「大国隆正」が『歴史で読む国学』でどのように紹介されたのかについてと、大国隆正研究の簡単な概要について述べた。いよいよ、拙論の本論部分の紹介をいたしたく思う。「大国隆正と地域社会」と題したからには、隆正の眼前には地域社会があった。今回分析対象としたのは、播州小野だった。個人的にはこの小野藩校(隆正が創設にかかわった)の跡地にある高校の出身であることから、縁を感じ
2022年4月5日 18:48
前回まで連続して3回、『歴史で読む国学』の簡単な要約とその所感を書いてきた。今回から扱う章は、私の卒論と深くかかわるテーマであるので、趣向を変えて僭越ながら、拙論と『歴史で読む国学』とを対応させながら、なかば拙論の紹介をするといった格好でお届けしたく思う。今回から数回、取り上げるのは、第7章から第9章である。それぞれ、遠藤潤先生、小田真裕先生、三ツ松誠先生が執筆されている。時代は「ポスト宣
2022年3月30日 10:30
第三弾となる今回は、第5章・第6章についての雑感を述べる。この連続する二つの章は、一戸渉先生がご担当で、確立期を経て、国学がどのように広がっていったのかを、当時の様々な階層の人々の精神世界に目を配りながら、国学のさらなる飛躍の前提条件を整理してくださっている印象である。ベネディクト・アンダーソンは、『想像の共同体』において、ナショナリズムの歴史的な起源について考察を行った。その中で、国民形
2022年3月29日 16:43
前回に引き続き、『歴史で読む国学』の雑感を述べる。今回は松本久史先生がお書きになっている第2章から第4章を取り上げる。まさに国学史の前半生に当たる時期だが、荷田春満から本居宣長まで、国学のバトンが脈々と受け継がれ、社会と連動しながら成長して行く過程を、松本先生は流暢な文体で記されている。歴史上、帝国と言われた統治システムは世界中に散見される。しばしばそういった統治システムは柔軟性を備え
2022年3月26日 08:05
この3月に国学史を語るために必須の入門書が世に出た。國學院大學日本文化研究所編『歴史で読む国学』(ぺりかん社、2022年)である。私はこの意欲的な著作をtwitter上で知ることとなった。偶然にも、本著作の執筆者の御一人でいらっしゃる齋藤公太先生が、本著作について言及されているツイートをお見掛けした。実はこの3月に卒業論文を提出したばかりの私にとって本著作は、タイムリーなものだった。また改めて