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去年で100周年!大河津分水路の歴史を知ろう。信濃川大河津史料館


信濃川大河津史料館にやってまいりました。
史料館に入る前に、外をすこし歩いてみる。
2000年から稼働している大河津分水路 洗堰。
カッコいい!
洗堰を通って、新潟市の方に流れていく信濃川。


こちらが2000年まで稼働していた旧洗堰になります。
2002年に登録有形文化財になってるそう。


今は静かに信濃川の流れを見守っているのだろう。


館内に入ってみました。
水槽の中を泳いでいる魚を見るのは好きなんですよね。
暫し時間を忘れ見入ってました。
ここもキレイに展示してありますね。


江戸時代初期の越後平野の復元図。
潟や湿地の中を大小の川が流れている。
洪水が起きるたびに川の形が変わっていたらしいです。


大河津分水開通前は泥深い田んぼが多く、腰まで水に浸りながら米を収穫していたため、大変な作業だった。
せっかく獲れた米も「とりまたぎ米」と呼ばれ、鳥も食わないほど美味しくなかったんですね。


その苦労も洪水が起きれば、農業ができなくなる。
そのため、この時の代官であった大谷さんが江戸から和釘職人を呼び寄せ、農民の副業として和釘生産を広めた。
以来、燕市は和釘の産地になり、三条の問屋に行き、江戸に運ばれた。
このことから、燕市は職人の街、三条は商業の街と認識している人も少なくないと思う。


大河津分水が開通してからは、水害が激減しているが、ゼロではない。
2Fにはその当時、使われていた道具などが展示されている。
鍋トロと呼ばれる道具。
100年前に実際に使われていたもの。


3F。ここもキレイ。
4Fは展望台になってました。


外を歩いているときは降ってなかったんですが、けっこう降ってた。
晴れていれば、もっと景色がよかったか。仕方がないけど・・・。


洪水を防ぎ、新潟のお米を激ウマ米にした大河津分水路。
これからも未来の子供たちを水害から守ってもらいたい。
今、日本海にでる部分の拡張工事を行っているので、そちらも一緒に見てはいかがでしょうか。
新潟県 燕市 信濃川大河津史料館

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