ヘルシンキ_8

無駄なものと暮らす

「好きな自宅は?」と聞かれたら「フィンランドにあるアルヴァ・アアルトの自邸」と答える。ヘルシンキの中心から少し離れた高級住宅街にひっそりと立つお家で、書斎からの眺め(上記写真)が最高なのはもちろんのこと、この家には“あらかた生活必需品の類が見られない”からだ。いや、本当は生活必需品もたくさんあると思う。だけど、全てこだわり抜いて集めた逸品ばかりで、全て趣味の蒐集品のように見えたのだ。

生活に必要な最低限のものしか持たない「ミニマリスト」という言葉があるが、僕は其れが少し苦手である。妻と二人暮らしをしている僕が持つ家具はベッドとテーブル、1つの棚のみ。先日の引っ越しでは2人合わせて1人分のダンボールすら使い切らなかった。そういうと「ミニマリストなんですね」と言われることも多いが、そんなことはない。持ってきたものといえば、ガラスの工芸品や器、ポスター、書籍、布など、生活に必要のないものがほとんど。どちらかといえば“無駄なもの”しか持ってこなかった。だから絶対にミニマリストではない。ちなみに、引越しについては昨日noteに書いた。

もしも、本当にミニマリストを突き詰めるなら、家なんて必要ないと思う。家賃などの固定費すら無駄だと思うから。(できるかどうかは別として)その日その日を行き当りばったりで、だけどリズミカルに生きられる人こそ本当のミニマリストだと思う。

だから、お家を必要最低限のものだけに断捨離して暮らすのは、(僕の主観だと断った上で)“味気ない生活”でしかないと感じている。色のない生活。それが心地良いと感じる人もいるはずだから、もちろんミニマリスト自体を否定はしない。だけど、僕はそれだと生きていけない。

以前こんなnoteを書いたのだけど、これってファッションだけじゃなくて、生活全般に当てはまることだと思う。人間は無駄と消費のために生きている。熱量はそこにしか発生しない。その熱量・感情にこそ価値と可能性がある。

だから、少しでも無駄を楽しめるように、消費を取り込めるような生活がしたい。そんな場所に暮らしたい。服が好きなら服に囲まれたいし、本が好きなら本に埋もれたい。そんな人はたくさんいるだろうし、そんな人の部屋を見ると個性が見えてきてとても楽しくなる。これからもファッションや生活、人生を無駄とともに楽しんでいきたい所存である。



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