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人生には「選ばれなかった道」がある

 この週末はいよいよセンター試験。気がつけば、自分が受験をしてもう10年が経つのです。高校3年生だった僕は寝る間も惜しんでひたすら勉強をして、センター試験と大学入試を受け、東京へ進学したわけです。

 思い返すと、なぜあんなに頑張れたのか、その理由がピンとこないのです。大学で医学部へ進学しましたが「どうしても医学部へ行って医者になる理由がある」とか「東京大学でないと学べないことに出会ってしまった」とか、そんな原体験もない。結果として医者にもなっていない。

 上京の理由を当時は「東京に行けば芸能人に会えるから」と言っていたし(結果あながち間違っていないんだけど)、医学部へ進学したのも「なんとなく身体に興味があるから」でした。それくらいの動機でも頑張れたし、(もちろん死ぬほど努力はしましたが)うまくいったのです。

 そう、思い返せば、人生には多くの「選ばれなかった道」があります。目標があろうがなかろうが、成功しようが失敗しようが、いずれかを選択すれば他方が捨てられます。だから、どちらが正しいということは決してなくて、一方が選ばれて、その道を歩んでいるという事実だけが真理なのです。

 だからこそ、自分の体験だけをもとに「こうする方がいいんだ」と主張することがナンセンスだなと思うのです。もちろん、助言を求められたら自分の経験をもとに答えるとか、他人の選択をどう感じるかは自由だと思います。でも、自分の意見を強要するべきではないし、絶対的に正しい選択などない。

 例えば、芸能人の離婚騒動とか、どうでもいい。不倫が原因だったとして、その男性を叩くとか、きっと奥さんは可哀想だとか、そんなこと僕には発言する資格がないと思うのです。だって、直接本人から話を聞いたこともないんだし、聞いたとしても本当の気持ちは本人にしかわからないんだし。

 この間、家入さんのこんなツイートを見て、すごく共感しました。別にどんな生き方だって、他人は他人で、正しいも間違っているも、それを決めるのは本人だけ。

 だからモヤモヤしながらも会社を辞められない人をフリーランスがバカにするとか、それは違うと思うのです。まあ、僕はそもそも自分のことで精一杯なんですけれど。

 最後の最後でだいぶ飛躍しますけれど、こんな時代に必要なのは「包容力」なんじゃないかと感じるのです。人を貶したり、批判したり、自分が正しいと意見を言ったり。そんなことしなくていいから、話を聞いて、頷いて、褒めてあげる。愛してあげる。それだけで、もう少し世界は優しくなれるのになあと思うのです。


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