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1st day, afternoon: Chiang Mai, Thailand

旅のはじめはThe Whole Earthという大層な名前のレストランから。全地球と言いながら、タイとインドと中国料理しかないのだが、だいたいそれだけで世界の半分くらいカバーできてそうだから、あながち誇大広告とも言えない。

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このレストランの名前には少しだけグッと来る。インターネットが始まる前、今のネット世界をまるで先取りしようとしていたかのような雑誌、Whole Earth Catalogueを思い起こさせるというのが一つ。ジョブズがStanfordの有名な演説で確か引用したはずだ。だってStay hungry, Stay Foolishというジョブズのあのスピーチの締めの言葉は、Whole Earth Catalogueの最終号の最後のページに書かれた文章だったはずだから。そこからすべて発し、我々が生きる世界は違う場所になったのだから。考えられるものはいずれ実現するものだ。ハングリーと愚かさの先に未来があるのだとしたら、愚かさを徹底的に燃やし尽くすこの今の世界には、未来なんて無いのかもしれない。愚かさをいかに担保すべきなのか。まったく、いつから世界はこんなに皮肉な場所になったんだ。

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もう一つは個人的な思い入れ。2年前、旅の仲間とタイの最後のランチを食べたのがこのWhole Earthだった。今回旅の再開と再会にピッタリだ。といっても選んだわけではなく、ランタンフェスティバルのチケット受け取り場所がたまたまこのレストランの横だったというだけの話。でも少しだけ、「風向きの良さ」みたいなのも感じる。俺は基本的に理性しか信じていない人間であるはずだが、時々少しセンチメンタルな運命論者にもなる。今日は良いことがあるに違いない。

ランタン上げのイベント自体はとても楽しくて、そうなると逆に話すことはあまりない。写真が俺の言葉以上に、その場の雰囲気を過剰に語ってくれるだろうから。

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言葉は常に、不足と欠乏から出るものだ。だからこそ、かつて言葉に苦しんだあの時、カメラに手を伸ばしたのは必然だったかもしれない。本当は言葉こそ一番必要だった時期に、俺は10年近くの沈黙を強いられた。自らの愚かさの代償を、沈黙という形で払わなければならなかった。

それを埋め合わせる過剰さこそが、おそらく写真だった、のかもしれない。わからない。でも無言でシャッターを切る行為は、幾ばくかの「自己療養の試み」に近いものだった。背面液晶に出てくる下手くそな画は、むしろ今より輝かしく見えたものだ。

写真が切り取るのは、リアルの持つ圧倒的な過剰性。まるでその過剰性に呼応するかのように、アジアの夜は過密だ。人々も、色も、熱気も、嘘も真実も、アジアにはまだ全てがある。アジアで無くなろうとして、嘘も真実も失い、いびつな形にウロボロス的な歪みを抱えた国に住んでいると、その貪欲さ、その正直さ、そのずる賢さ、その美しさ、その醜さの全ての直進性が羨ましい。その目がくらむような熱量の一部だけでも持って帰るために、俺は多分年に一度、アジアのどこかに向かっている気がする。

1st dayは再会と再開、驚くほど完璧な一日。

犬が月に向かって吠える。そうだ。いつだってイーペン祭りの日は満月だ。だから夜に駆り立てられる。光に向かって集まる蛾のように、その熱に燃やされるために。

すべてを月の下で燃やすために。

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