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もう一つの目

一昨日、人生初の富士山撮影に行ってきたんですね。そもそも結構長く写真やってて、しかも一応仕事で写真やってるのに、富士山撮ったことないっていうのがわりとびっくりされるんですが、一応理由はあります。風景写真って、結局その撮影地の近くにいる人が撮るのがベストだと思ってるんです。このあたりはまたいつか詳しく書く予定なんですが、特に仕事となると自分の「得意地域」とか「いつでも即応できる距離」みたいなものを意識しがち。しかも相手が富士山となれば、これまで日本で最も撮られてきた被写体の一つだから、僕などが入り込む余地がないと思ってたんですね。

ところが、ひょんなことで富士山撮影の依頼をうけて、それで急遽おととい、GPVの条件が良かったので、天の川と合わせて撮りに行こうと夕方16時ころに思いつきました。もともとその日はどんな撮影をするつもりもなかったので、行ってみたら富士山がダイヤモンドになる日だったのはほんとに幸運だったのですが、まあそれはそれとして、撮影が楽しかったんですね。

多くの友人達が助けてくれました。行く先々で友人が待ってくれてて、撮影につきものの「どこで撮ればええんや・・・」っていう迷いが一切なく、8時間の撮影で6箇所を回ることが出来ました。そのそれぞれで、友だちたちと会話をしながら撮影してて、それもすごく楽しかったんです。

でも一番感動したのが富士山そのものでした。

勿論、新幹線の窓からいつも見えてる富士山を見た時「あー、綺麗やなあ」とは毎回思ってたんですが、その日僕が感じた感動は、ファインダー越しに見えている風景、被写体として見ている時の目線の先にある富士山の美しさと凄さ、威容、威厳。そういったものが、わーーーっとまるで僕を包むように目の前に現れているわけです。単純に感動しました。そして、そういやそういう「感動」って、写真撮り始めた時はいつでもあったなと。

結局僕が写真にハマった一番の理由は、その「ファインダーを通した時の感動」みたいなものが強烈だったという、その一点に尽きるわけです。これは単純に「カメラを通して見たらすごかった」という話だけではなくて、なんていうか、「世界を見る目線は、別に一つじゃないんだ」と気づいた感動というか。

普段僕らは、毎日通る道とか、職場の近くの桜とか、大して気にもとめることなくあるき去っていくんですよね。でも、「これを撮ろう」と思って被写体を前にした時、なんか色々うんうんと努力していると、あるタイミングで「お、これ綺麗」みたいな見え方する時あるんですよね。それを突き詰めていった先にあるのが風景写真だと思うんですが、つまりそういう「自分が持ってなかった見え方目線」みたいなものを発見できた時の喜びのようなものが、カメラで撮りたかった原点のところにあるような、そんな気持ちを思い出したわけです。

富士山って、特別そんなことしなくっても、あらゆるところであらゆるタイミングで、アドレナリンがドバドバ出るほど、とにかく「見え方の宝庫」でした。今回は半分は仕事だったので、とにかく定番で成果をあげることを第一目標に写真を撮ってたんですが、例えば車で移動している途中、ぱっと森の間から見える富士山が綺麗で思わず足を留めたり、あるいは靄の合間からすっと見える山頂に感動したり。見える瞬間瞬間に喜びが溢れてる場所で、その喜びの感じが、かつてカメラを通して周りを見始めた頃の楽しさを思い出させてくれたというわけです。

てことで、富士山楽しかったです。そんな感じで、皆さんぜひ滋賀にも来てね。

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