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前夜

19時に準備が整った。今関空に向かっている。明日から2日半をタイで、2日半をミャンマーで過ごすことになっている。タイは2年ぶり、ミャンマーは人生初。外国へ行くのは去年の韓国以来だ。

19歳のとき、何かを変えたくてイギリスにいった。その旅の最も決定的な瞬間のことはこちらに一度書いたけど、正直この出会いがこんなに大きな影響を持つとはあの頃の俺はまったく思っていなかった。

そもそも「何かを変えたい」という漠然とした欲望など成就しようがない。変えようとするならば目的が必要で、その目的があってこそ、前後の変化の差分がわかる。「成長」なり「変化」なりを図るためには、始点と終点が必要なものだ。

だから、19歳のときの俺が思った「何かを変えたい」という意思は、言い換えるなら「何も真剣に変えるつもりがない」のと同じなのだ。現状に対する単なるわがままを「人生初の海外ひとり旅」というロマンに委託して解消しようとしていたに過ぎない。若さゆえの無知だけがなし得る愚行。

だから変わるわけもないし、そもそも何かラッキーにも変わったとして、何が変わったのかは当人にはわからなかっただろう。あのときの旅の意味が俺に分かったのは、20年もあとのことなんだから。

今回、あの時と違うのは、俺は何も変えようとは思っていないという点だ。俺は変えなければならないほどのひどい人生を生きていないし、むしろ沢山の縁に恵まれて望外の人生を生きている。これに不満を持つほど、俺は恩知らずではない。

ただ、何も変えるつもりはないけど、俺は自分の輪郭がどんなものの「小ささ」なのかを確認したいと思っている。あの、19歳の初めての旅のとき、俺は「俺ならなんでもできる」という若さゆえの根拠のない自信に満ちていた。

今の俺にそんな根拠のない自信はない。その一方、俺は妙に安定してしまった。43歳、中年らしい、ねばついた精神的、経済的、社会的安定。

19歳のあのとき、無限の自信の根底には、無限の不安があった、無限の恐怖があった。すぐにその闇は俺を捉えるかもしれない、俺はどこにも行けず、すぐにでも世界は俺を拒否するのかもしれない。そんな不安と恐怖こそが、19歳の俺に無限の自信を与えた。というより、そんな向こう見ずな蛮勇を持たなければ、生きていくことさえ困難だったのだろう。

今の俺には、そういう不安も恐怖も薄れてしまった。完全になくなったといえば嘘になる。でも、俺の周りには家族がいて、友達がいて、そんなに数は多くないにせよ信頼するに足る人物たちがたくさんいる。そういう「つながり」が、俺に安定を与える。良いことだ。とても良いことだ。

でも、俺はもう少し小さい、もう少し力の無い存在ではなかったか?俺の根底には、世界に怯えて何もできなかった5歳の夏の頃の自分がいるはずだ。

人生で初めてできた友達の家にいったとき、チャイムが鳴らせなかった。鳴らして大人が出てきたとき、何を言えばいいのかわからず、俺はあの青いボタンを押せなかった。暑い8月の真昼。蝉の鳴き声がけたたましく響くだけの数十分を立ち尽くしたあげく、俺は夏の強い日差しに負けてふらりふらりと地面に倒れ込んだ。熱射病だね、連れて行かれた医者でそう言われた。もうちょっと長かったら死んでいたかもしれないよ、夏の太陽には気をつけなければいけないよ

蝉のうるさい声は、病室にもよく響いた。

あの日、「友達」の横の家のおばちゃんが、昏倒して倒れた音を聞き逃していたら、俺の人生はそこで終わっていたかもしれない。そんな出来事。

俺の根底には、この子がいる。引き起こす結果を予見し怯える、怯えて縮こまる自分が。俺は多分それを確認したいのだろうと思っている。

その「怯え」は、再び俺に注意深く生きるための触覚を与えてくれるはずだ。

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リアルタイムになるかどうかはわからないけど、15日までの旅の毎日を、軽い旅行記として残せたらと思ってます。

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