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コロナ禍の経験を演劇的手法を使って捉え直す

8月10日、11日と、劇団朋友にてエデュケーション・ワークショップ。教育現場での演劇的手法の活用に関心をもつ教師や演劇関係者らが集まる。昨年度はコロナ禍によりオンライン実施になったため、対面での開催は2年ぶり。

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演劇的手法のワークショップでは、普段は私は、物語や詩の世界を(演劇的手法を使って)探索するような活動を中心に行っているのだが、今回は、社会的なテーマを扱うものも多く取り入れた。
なかでもメインとなったのは、2日目の後半に行った、コロナ禍の問題を扱う一連のワーク
今回これを組み込んだのは、教育における演劇的手法の意義や可能性を追究するうえで、今、このテーマは避けては通れないものと考えたからだった。

まず、中学校社会科の歴史資料集(新学社)より、感染症が歴史に与えた影響がまとめられているページのコピーを配る。天然痘、ペスト、スペイン風邪が取りあげられ、「3回にわたる大きな流行で○人が感染し、○人が亡くなりました」といった記述がなされている。

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それをもとに、こう投げかける。

今の新型コロナウイルス感染症も、いずれはこうして歴史上の出来事として伝えられるようになります。そのときに、「○人が感染し、○人が亡くなりました」では収まりきらない部分があることを今のわれわれは知っています。そうした、公的な記述には出てきにくい部分、コロナ禍による社会の変化の「知られざる側面」について、グループで短いシーンをつくりましょう。ナレーションつきで、いわば後世に伝える記録動画として。

各グループ2つずつ、計6つのシーンができる。
休校になって体調がよくなった不登校生徒、「マスクの下の素顔を見られたくない」という高校生の恋愛模様、子どもたちへの注意とおかわりの配膳とにてんてこ舞いの給食中の担任教師、集まる約束をしようにも人によって基準が違うことによって生じる仲間内でのギクシャク、本国から出られない留学生らの事情、屋内で踊ることを促す動画の流行と首相の便乗。

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これらを続けて一挙に発表して見合う。

次に、こうした「記録動画」を見た後世の人たちの立場に身を置いて、わいてくる疑問や感想を、各シーンのタイトルを記した模造紙に書き込んでいく。

「マスク取った時にタイプじゃなかったらどうします?」
「アルバイトはできましたか?」

など、今のわれわれにとっても疑問になるようなものもあれば、

「不要不急の外出ってたとえばどんな時?」
「不登校って何?」

など、後世ならではの視点、今のわれわれにとっては自明でも後世になったら違うかもしれない部分も引き出されてくる。

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最後は、コロナ禍終息時のモニュメントづくり。

他の歴史上の感染症もそうであったように、新型コロナウイルス感染症も、いずれは必ずなんらかの形で終息する。そのときに、今までにも津波などの災害の時にもつくられてきたように、これを歴史に残すべく、モニュメントがつくられることになった。そのモニュメントをグループで考えましょう。具体的に表すものでも抽象的に表すものでもOK。「~でこのモニュメントが設置されました」で終わる短い解説文(ボタンを押すと音声で流れてくるようなもの)も一緒に。

協力することの意義を謳うもの、医療従事者の献身を称えるものなどが出てきた。

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一連の活動をふまえて、参加者らで話し合う。

「自分の生活しか見えていなかったのが、この活動を通して、いろんな場所・人々を想像できた」
「今まで自分が中にいるとしんどさしかなかったけれど、今回こうして俯瞰して眺めると、やってて笑い転げるくらい楽しかった。『こういうのも外から見ると面白いじゃん』と思えた」
「正直なところ、コロナ禍の終息なんて今まで頭から消えていたけれど、今回それを思い出した」

などの感想が交わされる。

今回これを行って再認識したのは、自分が渦中にいる出来事を別の視点で捉えたり別の側面に目を向けたりするうえで演劇的手法がもっている力だ。複数名で演じることによる場面の立体化、虚構であるがゆえの自由さなどによって、それが可能になる。

一方、参加者からは、

「こうした活動を経験することで、歴史の資料集に載っているような過去の感染症や災厄に対する捉え方も変わる」

というコメントも出た。
これもその通りだ。われわれは、歴史上の出来事に対して、その後の展開や評価などを知っているがゆえの、概括的な捉え、あるいは一種の断罪史観でもって見てしまう。「こんな非科学的で差別的なふるまいなんてありえない」みたいに。けれども、その渦中にいるときにはきっと違った見え方をしていて、その点では今私たちが経験していることも同じかもしれない。今の出来事をもとにした活動、さらには過去の出来事を取り上げた活動を演劇的手法を使って行うことで、それに気付くことができる。

演劇的手法は、このように、今渦中にいる出来事を別の視点から眺めることを可能にするし、一方、過去の出来事をその渦中にいる視点から眺めることも可能にする。
このことが浮かび上がってくる、今回の取り組みだった。

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