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学ばれた経験としてのカリキュラム

対面式授業が当面困難な状況下、学生たちにどんな学習経験を提供していくか。

今の大学業界でのオンライン授業談義を見ていて気になるのは、いわゆる「カリキュラム」の2つの捉え方、つまり、教育活動の計画としてのカリキュラムと、学習経験の総体としてのカリキュラムのうち、前者しか視野に入っていなさそうな点だ。

事情は理解できる。今まで対面で、教室に行けば普通に学生たちがいるという状況のなかで授業をしてきたのが、その前提自体通じなくなったときに、教員が、何を準備して何を届けたらよいかに意識が向くのは当然ではある。

が、この半期、あるいはそれ以上の期間にわたって、学生が何をどのように学んでいけるようにするかというように、学習者の側から捉える視点がないと、下手をすれば、教員の側の、「授業やりました」という証拠づくりのための「オンライン授業」になってしまう(もっとも、これは、程度の差はあれ、従来の対面授業でも起こってきたことなのかもしれないが)。

学ばれた経験としてカリキュラムを捉える(learned curriculum)ことの大切さ。
例えば、大学教員による講義を大教室での後方座席で「テレビでも見るかのように」漫然と眺めている(と今まで大学教員が批判してきた)学生たちに対して、自分の講義をパッケージ化した動画を配信しようとするのは、まさに、大学教員が自ら進んで学生のそうした学び方を強化する行為になってしまうだろう。
学生たちの小グループでの話し合いも、「オンライン会議ツールの機能を使ってそうしたことができる」というところでとどまらず、学生たちにそこでどんな話し合いをしてどんな経験をしてもらいたいかまで目を向けないと、「話し合わせました。以上」みたいなことで終わってしまう。

もちろん、言うは易く行うは難しで、こうした指摘はブーメランのように自分に返ってくる。私自身、オンライン授業で学校教育を受けてきた経験がないため、そこでの学生の学習経験を想像するのが難しい。
そんなわけで、学生に尋ねながら、また、自分自身同僚の先生方と一緒にオンラインツールについてオンラインで学習しながら、進んでいこうと考えている。

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