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オンライン授業に寄せて③ 教師がまず自分たちでやってみるということ

大学の授業のオンライン化にあたって、同じ科目の担当者同士での協力の話を前回書いた。
が、このように、急遽降りかかってきたオンライン化に対応するべく協力するというのは、同じ科目の担当者同士でなければできないことではない。

たとえそれぞれ違う科目を担当している場合でもできること、まずすべきことと私が考えているのは、標題にもつけたとおり、新しいツールであれ学習形態であれ課題であれ、教師がまず自分たちでやってみるということだ。

例えば、私が所属する部署でも、オンライン授業実施が決まってから開始までの間に、zoomのいろいろな機能のお試しはもちろん、大学の標準LMSであるWebClass、同じく大学標準のグループウェアで今年度から使用が可能になったMicrosoft Teams、視覚化ツールのオンラインホワイトボードMiroなど、いろいろなツールを試す時間を設けた。「○○講習会」などといった正規の催しとしてではなく、先生方との定例ミーティングのなかで時間をとって、気軽な位置付けで

WebClassの場合、私のほうで、「レポート」「アンケート」「掲示板」「チャット」「ユニット」などさまざまな機能を使ったサンプル教材を用意しておき、他の先生方を「user」アカウント(つまり学生と同じ立場)で一時的に追加して、実際に教材を体験してもらった。さらに、その後、アカウントを「author」権限(担当教員の立場)に変更して、教員側からの見え方も体験してもらった。別に私が専門家だったわけではなく、私自身、それまでWebClassは学生にレポートを提出させるときくらいにしか使ったことがなかったので、自分もまた試し試しである。

こうした試行の機会は面白い。
まず、受け手の側からの見え方を知ることができる。「レポート」機能で提出したら、こんなふうに通知がくるんだ~、みたいな本当になんてことないようなことまで含めて。これによって、学生がどんな経験をするかを想像できるようになる。
また、教員同士で行っていてもさまざまなトラブル(うまくアクセスできない、操作の仕方が分からない etc.)が出てくるので、学生がどんなところでまごついたりつまずいたりするかの予想もできるようになる。最初は、正直なところ、「え、そこで苦戦するの?」みたいにフラストレーションを感じることもあったのだが、やっているうちに、むしろこれが、学生らと実際に授業で使っていくうえでおおいに助けになることに気付いた。学生に説明するときに、「多分〇〇という人が出てくると思いますが、その場合は、…」と、生じることを想像して手を打っておくことができる。
さらに、もちろん、他の先生方と一緒にいろいろ試してみることで、「こんな使い方もできそう!」とアイデアも自然に出てくる
こうした一連の機会は、他の先生方からも、「助かりました」「授業での使い方も見えてきました」などと好評だった。

授業で使う前に他の教員らと先行して試すという点では、例えば、学内の会議をオンラインでzoomを使って行いました、といったものもそうなのだけれど、そんなふうに本来の目的がある場合、新しいツールや学習形態そのもののいろいろな可能性を試す、いわば「遊ぶ」ことは行いにくい。どうしても、「きちんと使える」ということが優先される。
気軽にいろいろ試してみる」という時間をもつことの大切さ。

これはおそらく、小中高の場合も同じ。
この間見聞きしてきた学校の状況からすると、休校期間中、映像配信であれzoomであれロイロノートであれ、オンラインの手段を使っての取り組みに学校が踏み出せたかどうかの違いは、元々の環境やスキルの充実度以上に、校内の教師同士で気軽に「まず自分たちで試してみましょう!」ができたかどうかによるところが大きいのではないか。それができる学校(教師集団)であれば、仮に、環境面でのハードルがあったとしても、「こうやって乗り越えられるんじゃないか」といったアイデアを出し合える。

教師(小学校から大学まで)はこの、「まず自分たちでやってみる」ということが、たいていの場合苦手だ。教師である以上、「自分は知ってないと/分かってないといけない」という思い込みが強く、「知らない/分かってない自分」を晒すことに強い抵抗感があるのかもしれない。そのため、第三者的立場からの論評的な意見の出し合い(「○○するのが望ましい」「いや、○○があるから○○は不適切」etc.)になってしまう。

私がこれまで学校現場とかかわって行ってきたのは、まさにこうした風習を打ち破ろうとする試みでもあった。学習者として感じたこと・考えたことを素朴に出し合う「対話型検討会」の取り組み然り、学習活動を自分たちで体験することで「学び手感覚」の活性化を目指す取り組み然り(詳細は、近刊の、渡辺貴裕・藤原由香里編著『なってみる学び』時事通信出版局参照)。

おそらく、今回のウィルスに端を発する騒動は、(これは他の点に関してもそうなのだが)大学や学校現場に新たな問題を発生させたというより、もともと存在していた、けれども日々のルーティンのもとではそこまで大きな問題にならずに済んでいたものを、劇的な形で顕在化させたのだろう。

さて、ここで述べているようなことは、決して他人事ではなく、大学教員である自分にも返ってくる。
今回、私は、「試す時間を設けましょう」ということを言える(そして先生方に乗ってもらえる)環境に恵まれていたのだろうと思う。「えっそんなの普通じゃん!?」と感じる人がいる一方で、教員のなかには、「私の職場では難しいです…」「自分がそんなことを言い出すのは畏れ多くて…」「他の先生がどう思っているのかも分からないし…」という人もきっといるだろう。それは理解できるし、あまり無理もしないでよいとも思うのだが、ただでさえ、「互いの状況が見えなくなる」「互いが切り離され孤立する」というのが、今もたらされている困難の核にあるものだ。「自分一人ではよく分からないので、これを試すのを一緒に付き合ってもらえませんか」といった一言からでも、始められるとよいのかなと思う。


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