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オンラインを活用した、学校の公開研究発表会(公開研)の実施に寄せて

7月まではもっぱら「中止」になることが多かった、学校での研究会や公開研の類いも、10月以降の分になると、デジタル機器とオンラインを活用して、「実施」にこぎつけているものが増えている。
その形はいろいろで、(大勢の子どもがいるところに大勢の大人が来て密集するという状況を避けるべく)授業はビデオで事前録画しておいて、それを視聴しながらの協議を、参加者らがその学校に集まって行う、というものもあれば、協議のほうもオンラインで、授業動画を一斉配信&視聴し、ディスカッションをビデオ通話システムにて行うというものもある。

こうした取り組みには、なによりまず、賛辞を送りたい。
公開を止めない、学校を越えた教師らの学び合いの場を維持するという心意気は立派だし、ありがたい。
初めての試みとなって勝手が分からず例年と違った形での労力もかかる取り組みを行おうとされていることに、敬意を表する。
(なお、一方で、オンラインではどうしても伝えられないものがあるからということで、熟慮のうえ不開催を決めたとしたら、それもまた私は尊重する。)

そのうえで…の話だが。
こうして予定されている研究会・公開研の計画を聞いていると、それらは、せっかくデジタル機器とオンラインの活用を組み込んでいるのに、研究会・公開研の流れそのものは、従来のものと変わりがないという場合がほとんどだ。
つまり、45分なり50分なりの授業の録画映像を参加者らが一斉に視聴→それをもとに授業者や参加者らがディスカッション→予定の時間が来たら終了、という流れ。


けれども、せっかくデジタル機器やオンラインを活用するのであれば、その強みを生かした、通常の研究会・公開研ではできないようなスタイルを試みてもよいのではないか(ただでさえ、肌で感じられるような授業の臨場感を共有するといった点では、デジタル機器・オンラインは圧倒的に劣るのだから)。


例えば、授業の動画は、いわゆる「研究授業」の1時間分だけでなく、そこにいたるまでの授業の部分部分も見られるようにしてもよいかもしれない。
参加者全員が一斉にそれらを見る形にしなくても、例えば、研究会当日の「授業動画視聴タイム」のなかで、参加者が自由にクリックして、それぞれの関心に合わせて、見たい部分を見るという形でもよいだろう(個人情報保護やセキュリティ上の問題がクリアできるのであれば、前日夜から見られるようにしておくといった形も考えられる)。


動画の撮影方法にもいろいろな可能性がある。1台のビデオカメラによる定点撮影に限る必要はない。複数台のカメラで、教室後方から、前方から、あるグループに焦点を合わせてなどさまざまな視点の動画を撮影しておいて、参加者はそれらを切り替えながら見るという形も考えられる。
生徒にウェアラブルカメラを装着させて生徒目線での映像とか(実技を伴う授業などだと、特に見てみたい)、グループでの話し合いの中央に全方位カメラおいての映像とか、教室天井中央に吊しての俯瞰とか、運動場での体育なら上空にドローンを飛ばしての映像とか(安全性と騒音の問題によりまず無理だろうが)、通常ではなし得ない視点での映像というのも面白い。


協議会のほうも、オンラインだからこそ行いやすいこともある。例えば、オンラインでの協議であれば、その様子の録画はワンクリックでできる。それを、研究会や公開研の当日の間、参加者が自由に見られるようにしておくことによって、「あ、あの部分、大事な話出てた気がするけど聞き流しちゃったから、もう一度聞きたい」というのにも対応できるし、当日のその時間都合が付かなかった参加者も視聴ができるし、あるいは、「他の教科の協議会の様子を覗いてみたい」といったニーズにも応えることができる(録画動画の活用については、横浜国立大学の石田喜美さんの提案から示唆を得た)。


ここでいろいろ挙げたアイデアを、すべて行う必要なんてない。技術的にも労力的にもそんなことは不可能だ。できそうなこと、面白そうなことをやれればよい(一方、教育委員会側からは、このように公開研そのものの新たな形にチャレンジしようとする学校に対する重点的な支援があってもよいだろう)。
また、その過程では、「うまくいかなかった」「労力に見合わなかった」「計画していたけど頓挫した」といった例もいろいろ出てくるだろうが、それも当然のこと。それらに対して、学校内外の関係者は寛容である必要がある


このように、対面実施の困難さがきっかけのオンラインの活用を、単なる制約と捉えず、新たな可能性への挑戦とすることができる。ICT活用の「SAMRモデル」でいうところの、「代替」としてのオンライン公開研の実施ではなく、公開研そのものの「変容」、そして「再定義」だ。


一方、そう書いておいてなんだが、授業は、やはりその場に居合わせて、その場の中に入ってこそ、見えてくるものがあると私は考えている。だから、オンライン公開研に何らかの可能性が見出されたとしても、参会型での実施の意義と必要性はなくならないし、両者を組み合わせるという方向で発展していくだろう。
けれども、だからこそ、今年度のオンラインでの実施の際には、これまで参会型で行ってきたもののオンラインへの置き換えで済ませるのではなく、オンライン活用のさまざまな試行錯誤が行えればよいのではないかと考えている。

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