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「オンライン授業」を契機に「標準授業時数」を考え直す

案外(特に学校の先生方以外には)知られていない気がする点について書いておこう。

学校でどの教科をどれだけの数、授業を行うかということは、学校教育法施行規則によって示される標準授業時数というのがあって(例えば、小6国語なら、年間で45分授業×175回)、原則的にそれを上回ることが求められている。そして、この時数というのは、小中学校の場合、対面の授業を前提としている(「通信制高校」はあっても「通信制小中学校」はない)。

今回、緊急事態宣言やら何やらの影響で、夏休み後の登校しての授業の再開を遅らせ「オンライン授業」を実施している学校も数多くあるわけだが、それらはしばしば、授業時数のカウントには入れない扱いで行われている。文科省による新学期対応の状況調査で「同時双方向型のオンライン指導を通じた家庭学習」というまだるっこしい書き方がされているのもそのためだ。

そのため、教師らが必死になって、慣れないオンライン授業に取り組み、子どもたちの学習を保障しようとしていても、厳密には制度上それが「授業」として扱われないということが起きている(ただし、この点は自治体や学校による違いがありそうなので、「うちではこうしています」という情報があれば寄せていただけるとありがたい。対面組もオンライン組もいるハイブリッド対応の場合は、時数に算入されているのだろうか)。

なお、この「標準授業時数」というのはそれなりに影響力をもったものであり、コロナ禍以前の場合であれば、台風などでの気象警報による休校が繰り返されると、「うわ、時数が足りない!」という悲鳴が先生方からよく聞かれた。

ただし、さすがにこのコロナ禍の状況なので、文科省の新型コロナ対応のQ&Aページにも記載されているように、昨年度も今年度も、

非常時に臨時休業を行い、学校教育法施行規則に定める標準授業時数を踏まえて編成した教育課程の授業時数を下回った場合、そのことのみをもって学校教育法施行規則に反するものとはされません。

という指針が示されている(なお、一応、コロナ禍以前からこの方針は存在した)。

そのため、「オンライン授業」(正確には「同時双方向型のオンライン指導を通じた家庭学習」?)に切り替えたため対面授業での時数を満たせなかったとしても、それで罰則があったり補習が求められたりするわけではない。
とはいえ、それが厳密には「授業時数」にカウントされないという点は変わりがない。

国が標準授業時数を定めているのは、学習指導要領で示した内容を習得するにあたってどの程度の時間数を見込めばよいのか目安があったほうが分かりやすいという配慮ゆえだろうし、また、全国的に義務教育の水準を担保しようという意志の現れでもあるだろう。
そうした趣旨は理解できる。

が、率直に言って、もはや、国が教科ごとに時間数を示して学校の教育活動を制御しようとする仕組みは、限界にきているのではないだろうか。

コロナ禍のもとでのオンライン授業の実施に対応しやすくするためだけではない。
今後、学校でも、子どもに(いつどこで誰と何をどのように学ぶかに関して)より多くを委ねるような学習スタイル、自律的な学習のあり方が広まっていくだろう。
その際に、内容をどれだけ理解できたかよりも教科ごとの規定時間数を満たせたかを意識しなければならないような状況は、歪みをもたらす元になる。
学ぶべき内容が何かということは、学習指導要領によって示されているわけだし。
そもそも、教育/学習活動を時間数で測ろうとする発想は、労働を時間で測っていた(測れていた)、工場労働の時代の産物であるようにも思われる。

とはいえ、私も、時数に関する規定をただ廃止すればよいと考えているわけではない。
義務教育段階の学校が、校舎を構えて、そこに子どもたちも教師も集まって教育/学習活動を行うという仕組みをとっている以上、年間少なくとも○時間は教師と子どもが対面して活動を行う、といった規定は必要になると思われる。あるいは、音楽の器楽演奏や体育の実技など身体的要素が前面に出てくる活動で「オンラインで映像を見せたりバーチャルな操作をさせたりして終わり」にしてしまわないようにするための仕組みも必要になるかもしれない。

ただ、少なくとも現状のような、学年と教科ごとに細かく時数が定められているような形は、今後、見直しが必要だろう。時数の提示そのものは維持しつつ、その運用の仕方を変えるという方向性も考えられるかもしれないが。学校に何を求めるのか、学校を何をする場と捉えるのか、に立ち戻って議論していくことが必要になる。

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