見出し画像

講義動画のアップロードは非同期型オンライン授業の一つの選択肢でしかない

一昨日でなんとか前期の授業をすべて終えた。本務校で4種類・週7コマ分、非常勤先で1種類・週2コマ分。
同期型を選んだものも非同期型を選んだものもあったが、後者の場合でも、結局、非同期型オンライン授業の定番になっていたと思われる、そこそこ長い(45~90分くらい)講義動画を作成してアップロード、というのは一度もしなかった
自分がしゃべる動画で作成したものといえば、一つは、1本5分程度のmiroの解説動画のシリーズ( https://note.com/takahiro_w/n/n0a10bc42f094 参照)、もう一つは、大学院説明会用の8分ほどの総合教育実践プログラムの解説動画だ。
(この総合P解説動画、先週の説明会で、「この動画見て○○に関心を持って、もともと予定していなかった総合教育実践のほうも説明会申し込みました」みたいな参加者が複数いて、役に立っていたみたいだった。作成者冥利に尽きる。)

私が長尺物の動画を作らなかったのは、ひとえに、「自分だったら見るのしんどいな」という感覚があったからだ。
自分自身、ソフトウエアのトレーニングビデオすら、15分超えるものは、見るのが億劫になってしまう。
「しゃべってるの一方的に聞かされるなら、文章に書いといてくれよ~。そしたらこっちで自分のスピードで、飛ばしたり戻ったりもしながら読むから」と思ってしまう。
(大学院説明会用の動画も、当局の指示では「15分程度」となっていたのだが、「短いほうが見やすいやろう」と思って、勝手に短いのにしてしまった。)

そんなわけで、例えば必修の「授業実践研究」では、毎回、「学習活動指示書」でもって、文章で語りかけるという形をとった。名前こそ「指示書」といかめしいが、話し言葉の口調で、受講生らの前回授業のコメント(LMSで400字以内で提出している)に応答する形で、書いた(こちらも参照→ https://note.com/takahiro_w/n/na7fc47e6cd16 )。

受講生からは、「毎週月曜にこれがアップロードされるのを楽しみにしています」「私のオンライン学習のやる気を支えています。何度も読み返しています」「高校で今自分が行っている実践にも取り入れました(※勤務しながら履修している現職教員院生)」など、評判はよかった。

授業者が一人でしゃべる長尺動画を否定するつもりはない。
多分、それがマッチする内容や状況はあるだろう。
また、授業者に動画編集のセンスとスキルがあれば、取り組みやすくてかつ学習上有益なものを作れるかもしれない(それをできそうな、私がその講義動画を見てみたい同業者の顔が浮かぶ)。

ただ、今回は、「自分が学び手の立場だったら…」という感覚をもとに、私が置かれていた状況ではこのやり方は選択しなかったというだけのことだ。

だが、一方でこれは、大事なことだろうと思う。
おそらく、今回、授業者が一人でしゃべる長尺動画が、非同期型オンライン授業のメジャーなやり方になったのは、それが、従来の大学の一斉講義からの置き換えとして、最もやりやすかったからだ。もともとパワポスライドを映しながらしゃべって講義していた人であれば、それを「ナレーション」機能で吹き込めばよいわけだし、黒板を使ってしゃべっていた人でも、それをそのままビデオカメラで撮影すればよい。

しかし、それはあくまでも、教師側にとって置換が容易だったというだけで、学習者にとってどうなのかはまた別の話だ。ただでさえ先生が一方的にしゃべる授業で「なんだかなあ」と思っていたのが、わずかながらでもあったかもしれない相互作用の可能性すら失われた講義ビデオになって、なおさらうんざりしているかもしれない(もちろん、一方で、教師の話術が素晴らしく、桂枝雀DVDを繰り返し見たくなるように、何度も見返したい長尺講義動画、というのも、あり得なくはない)。

私が懸念するのは、緊急避難的に選択された場合も多々あったであろう、長尺物の講義動画という形態が、今回、なんとか前期授業をオンラインで乗り切ったという「成功体験」を教員個人も大学組織も得てしまって、「これが標準」みたいになって、後期に向けての準備も進んでいってしまうことだ(同じことは、同期型で、zoomで先生のしゃべり配信+学生に丸投げブレイクアウト、みたいな形式にも言える)。
それは、本来あり得るはずの、他の形態の可能性にとっても不幸なことだし、また、限定された用途や目的のためには有益になり得るはずの長尺講義動画の形態そのものにとっても不幸なこと。

あらためて立ち止まって、学生らが大学で学ぶうえで有益でカリキュラム上意義がある(そして自分が対応可能な)形態を、教員や大学は考える必要があるのではないか。
このままなんとなく「前期なんとかなったから」と突き進んでいって本当にいいの?
それはまさに、社会からの大学不信を増幅させてしまうことになるんじゃないの?

そんなことを思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?