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大学生日記 #6 缶コーヒー

広司が鍵を閉めると、隣の201号室のに住んでいる裕太も眠そうな顔をして部屋から出てきたところだった。
柏木裕太は広司と同じ年に関東新聞・狛江販売所に配属された同期で、年齢は広司が一歳上だったけれど部屋が隣同士ということもあり、なぜか不思議とすぐに仲良くなった。裕太は音楽の専門学校に通う学生で、見た目は地味な黒髪の広司とは対照的に、ミュージシャン志望らしくツーブロックの金髪で両耳には大きなリング型のピアスを着けていた。 また目鼻立ちもはっきりして話上手なので、存在感があり女性にも好かれていたし、背丈は広司より少し低いが、細身なのでギターを持つといかにも様になった。そんな裕太は広司にとって上京してから最初の友達であり、同僚というよりは、むしろお互いの苦しい生活を支え合う同志のような存在だった。
「おう、岡田お早う」裕太が眠そうな声で言った。
「お早う。今日はちゃんと起きれたじゃん」
広司が少しからかうような調子で答える。
「うん、さすがに二日連続で寝坊は出来ないから」
「そりゃそうだよ。もう、わざわざ起こしに行くのは勘弁な。店長に文句言われたんだから」
「感謝してますって本当に。今度何か奢るからさ」
「本当?じゃあ、何奢ってくれんだよ」
「う~ん・・・缶コーヒー」
「はぁ?なんだよそれ、適当だなぁ」
「おい、おい馬鹿にするなよ缶コーヒーを!自慢じゃないけど、俺の実家の婆ちゃんは、缶コーヒー婆ちゃんて地元じゃちょっとした有名人で、毎日必ず健康の為に缶コーヒー飲んでんだぞ!」
事の真偽とは別に裕太はわざと話を横道逸らすようなことを言った。
「缶コーヒー婆ちゃん?なんだよそれ」
「あ、信じてないだろ?」
「はい、はい。もういいよ」
呆れたように言葉を発した広司は裕太を追い抜いて階段を降り始め、慌てたように裕太も後に続いた。階段を降りると、すぐに駐車場に停めてあるヤマハの配達用カブの濃緑の車体が目に入ってくる。一般の原付カブと違い、新聞配達仕様になっているカブは前側に新聞を入れる大きめのカゴと後ろの荷台に厚めの緑色をした防水シートと荷台に載せた新聞を固定するゴムチューブが配置されており、暗がりでも異質な存在感を放っていた。
ゆっくりと広司と裕太は、まだ薄暗い中を足早に花荘と呼ばれる二人が下宿しているアパートの駐車場に停めてあるカブの所まで来ると、エンジンを掛け販売所に向かった。広司はカブを走らせながら夜明け前の空をほんの一瞬だけ見上げる。そこには雲ひとつない穏やかな晴れ間が広がっていたが、風を切って顔に感じる空気は五月でもまだ肌寒くて、思わず首をすぼめた。

#小説 #新聞配達 #早朝 #同志 #ピアス #カブ

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