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レールなどないのに同じ道ばかり走る市バスに救われている/姿煮

2022年6月14日(火)のうたの日15時部屋の題「バス」の短歌。

「レールなどないのに同じ道ばかり走る市バス」に〈救われている〉と思うということから、レールがあっても外れてしまうような性格の作中主体が見えてくる。

人生にはレールがある。学校というレールや親が敷いたレールなど。作中主体は、そのレールがあるのをわかっていながら、意識すればするほど外れたくなるのだろうか。それとも気づかぬうちにレールから外れてしまうのだろうか。

走っているのが「市バス」ということだが、「レール」という言葉と相性がいい。市バスとは、市営バスのことで、市の交通局などが運行するバスのことだ。乗務員は、地方公営企業公務員にあたる。市バスの運転手は、公務員として地方公務員法などに則り、勤務している。比較的、レールを真っ当に進んできた人々と言えるのではないだろうか。

それに引き替え、作中主体は、コントロールしてもらわなければ、レールを外れてしまいがちなのだろう。市バスに乗れば、自然といつもと同じ道をたどることができる。

人生のレールの話にまで押し広げなくとも、作中主体は自動車等の運転において、道に迷ったり、遠回りしたり、寄り道したりしてしまうのかもしれない。市バスに乗れば、迷ったり、回り道したりすることはなくなる。

交通上のレールと取っても、人生のレールと取っても、作中主体のおぼつかなさが浮かび上がってくる一首となっている。

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