日々人殺しに加担しているあなたへ

パリでテロが発生し、多くの人が殺された。

私は考える。

私はパリのテロ実行に加担した、と。

私は考える。

私はシリア空爆のミサイル発射ボタンを押すことに加担した、と。

私は考える。

傍観者ではなく、当事者である、と。

例えばフランスの、アメリカの空爆によって家族を殺された子どもが

「自分をこんな目に合わせたフランス人とアメリカ人、それを支援する日本人を誰ひとりとして許さない。全員殺す。全員殺す。全員殺す」

そう思いテロ組織に入り、テロリストとして私の前に立った時、私は何か申し開きができるだろうか。

「私が手を下したわけではない」

そう言うだろうか、果たしてそうだろうか。

少なくとも、私は加担している。

「無視する」あるいは「重大視しない」ことで。

全てのことを同列に重大視できるキャパを持たないので、どこかで線を引いている。

そのことが悪いとは言わない。

だが、人殺しという重大行為に加担していることを忘れてはならない。

日々世界中で起きている「テロ」や「報復」、「軍事作戦」などという名の人殺しの多くに、私は何らかの形で加担している。

私は日々人殺しに加担している。

そしてそのことをしまいこんで生きているのだ。

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同級生の妻と5歳、1歳の息子たちと暮らす37歳フリーランス。

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コメント (3)
「誰かを殺しているかもしれない」は一気に視野を広げますよね。決してアフリカや中南米のニュースだから他人事ではないんだと。
この考え方は、本質的に「自己責任論」と同じです。自分を追い詰め、鬱になる思考パターンです。
と言うか、単なる“ペシミスト(悲観論者)”ですよな、或る意味で病的な迄の…。所謂、“過激なヴィガン”やら“環境テロリスト”やらとかに良く見られるアレですよコレは…。嘗てのオウム真理教信者とかにも良く居ましたしね、こう言う人、って…。
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