原動力にしていた純粋な気持ちの変化

昔、それなりの規模の会社でセールスの仕事をしていたとき、内勤の人たちは自分のことしか考えない毎日定時上がりで融通の効かない働き方にイライラしていた。
それは私が内勤になろうとしたきっかけとなるモチベーションになっていた。そんな内勤にはなりたくない。セールスありきの内勤・バックオフィスだ。と思っていた。

だが、ここ半年から1年間でいろいろなことが積み重なったり変わったりで、数年間強く持っていたその気持ちがネガティブな方向に変わっていたと気付いた。

それは、依頼をいかに断るか、最初にやったとしてもその後は別の人に引き継ぎたい、そう思うようになった。依頼者へ応対する言葉遣いもドライで忙しさが出てしまう。依頼者からしても受けてくれてありがとう!と気持ちよく言えるものではないだろう。私は振り返ってようやく気付いた。

どうしてこんなことになってしまったのか。やればやるほど私に依頼が集中する。本来私の業務外なので引き継げるように工夫して形にしても、その後を巻き取ってくれる人がおらず、誰もやりたがらず、役職が上がっても最初に形にした私がやり続けるしかなくなる。

そういう雑多なものが積み重なり、また私の本来の業務領域も難易度が上がり、量も増えたことで精一杯になる。
成果を出しても会社から得るものは何もなく、やらなければ詰められる。
私が回らないから、できるだけ部下に任せるようにした。部下ができない、回らない部分は詰められることを承知の上、諦めて捨てる覚悟をしたものもある。

立場的に唯一仕事を振れる部下に任せることで回らなくなった業務は一部改善できた。

だが、私の気持ちはネガティブに変わっていた。
セールスありきのバックオフィスだ、主体的に提案/改善/協力/臨機応変に対応しようという思いから、私はセールス・経営者のただの皿洗い係、雑用、奴隷か?というように。
会社に当時仲間がいたときはそんな風には思わなかった。お互い様だった。だがみんな辞めていった。

関係者や経営者にとっては上手く回って成果が出ていれば誰がどうやろうと関係ない。自分の仕事以外は誰かにやらせればいい雰囲気。ババ抜き状態になっていった。これを成果主義というらしい。であれば私は成果主義から脱落した一人だ。

結局私の部下も辞めることになった。それについては十分にケアできなかった私の責任でもあるし、本人の能力や今後の志向と合わなかったこともある。

当時純粋だった私の気持ちは間違っていないと信じている。次の職場は見つかってないけど、こんなことにならないことを信じたい。

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