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関わらないで?

私は居酒屋が好きだ。
若いころから様々な居酒屋等で色んな経験や知識を積み上げてきた。笑ったり泣いたり怒ったりと。そこで出来た友人は数知れずだ。そして翌日だいたい具合が悪い。

先日、会合の後に古町のとある居酒屋に立ち寄った。
年に何度か訪れる個人的にはお気に入りのお店である。なぜお気に入りかというと、つまみが美味しいのは当然ながら、店員や隣の客などとの関わりがどうでもいいとでも言うのか、何でもあり的な雰囲気なのである。

多少知っている間柄だと、褒めたり、時にはディスったりしながら互いに笑う。だが個人としての一線は決して超えることなく距離感を保ちながら酒を飲みながら会話を楽しむ。

アルコールが入ると多少は癖がでるタイプもいるが、それでも礼儀や作法を知っているからこそ大人と言えるのではないかと思う。


先日、名古屋に行くことがあった。
たまたま入った居酒屋の注文システムなのだが、新潟でも最近よく見るタブレットからの注文であった。コロナ禍から接触機会を減らす目的と、最近では人材不足を補うためにオンライン注文が効率的であるという理由で普及が進んでいる。

私らの後から入ってきた高齢のお客さんの注文の様子を見ていた。
どうやらタブレットの使い方が分からず注文が出来ない様子だ。たまらず「すみませーん」と、どう見ても学生アルバイト店員を呼びつける。

一通り注文方法を教えた後、頼んだ飲み物が通され安心した矢先、また使い方が分からないようで、そのうちテーブルでは愚痴が出始めた。都度、学生アルバイト店員を呼び注文を入れるという不効率を繰り返した結果、しまいにはブチ切れて帰っていった。

翌日、名古屋の別の居酒屋に行った。
私らが座ったのはカウンターで、一番最初に目に入ったのはメニュー表ではなく「ナンパ禁止」の張り紙だ。

当然、注文方法はタブレットで、そこは良しとしても、メニューよりもナンパ禁止が先に目に入るカウンターって、どんだけナンパが繰り広げられ、この張り紙に至ったのか考えると面白いのだが、反面、それだけ余計な関わりは迷惑につながるという店側の訴えなのだろう。

過去に問題があったからなのかもしれないが、逆に店員にどこまでがナンパなのか、異性なのか同性はどうなのか、その定義について聞いてみたいとも考えたが、カスハラ扱いされたくないので当然やめた。そもそも出会いはマッチングアプリの時代である。

どこで飲んでも変わらないサーバーから出てくる生ビールとハイボールを数杯飲み、決して味で勝負しているとは思えないつまみを食べ、デジタルデトックスには一ミリもならない店を後にしたのだった。


今を生きている限り、ある程度は時代に順応しなければ生きていけないし、そのための自助努力も必要である。それはどの時代の転換期にもあったことであるはずであり、だからこそ今があるのである。

しかしながらオンラインを用いて人との接触を可能な限り控えることが、どのような新しい時代を創り上げていくのかは私には想像が出来ない。

居酒屋から急に話は飛ぶが、例えば通信制の教育環境が公立私立ともに推進され需要も高まっている。理由として登校拒否や引きこもりが増加していることなので仕方がないことであると思う反面、そういう生徒に対しての教育関係者の逃げ道や受け皿があることへの安堵につながっているのではないかとも感じる。

人と関わるのは面倒くさい、でも人と関わらなければ生きていけない。そのトレーニングをするのが教育現場である役割を通信制でも登校日はあるのだが、通信制に頼る前の段階で教育として、勉強以前の問題として伝えてほしいと思う。

古町のあるバーでは、○○大学○学部の教授からバイトとして学生を使ってくれと依頼され毎年受け入れている。成績優秀でなければ入れない学部の学生だからこそ、人との関わりの重要性を知ってほしいという教授の想いからなのだろう。

運が良かったのか悪かったのかはわからないが、私は何となく雑に社会に晒されながら生きてきた結果、人と関わることがある意味仕事となっている。その一助になったのは間違いなく昭和の居酒屋スタイルであると考えている。

小学生低学年レベルの下ネタを居酒屋で散々話し終えた帰りのタクシーの中で、そんなことを考えながら夜空を見上げながら帰宅するのであった。