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北海道新幹線を旭川空港と連結、そして第二青函トンネルの可能性

旭川空港との連結北海道新幹線新千歳空港ルートは、昭和48年制定の基本計画に記されている旭川までの延伸を諦めるものではありません。北海道新幹線を北に延伸させ、旭川まで結ぶ場合には、旭川空港と結ぶことを検討すべきでしょう。

石狩川左岸の空知管内には、岩見沢市の他、砂川、滝川、深川といった主要都市が続いています。こうした各市を連結するルートを選択することも重要ですが、富良野盆地を抜けて旭川に至る富良野ルートは、本道の観光そして食産業を振興させる意味でも意義があると考えます。

おおよその試算ですが、石狩川左岸ルートで旭川駅を経由して旭川空港に至る場合、路線の延長は155㎞程度です。一方、富良野盆地ルートでは143㎞程度と距離で10㎞程度短縮でき、費用も約500億円縮減できます。ちなみに、石狩川左岸ルートで旭川空港に連結せず、旭川駅止まりの場合は、距離にして132㎞程度とさらに約10㎞短くなりますが、効果は半減してしまいます。

東北・北海道新幹線の駅間はおおむね20㎞から50㎞程度です。仮に札幌の次の駅を岩見沢とし、在来線の営業キロに基づいて試算すると、この間は40・6㎞で、次を滝川とすると岩見沢―滝川間は35・3㎞、滝川―旭川間が53・3㎞となります。砂川と滝川は7・6㎞しか離れていないので、両
方に駅を作ることは現実的ではないでしょう。一方、富良野盆地ルートは岩見沢から富良野盆地へ出て、富良野―中富良野に1駅を作り、旭川空港を経由して南側から旭川駅に接続できます。ニセコに匹敵する観光資源を有する富良野地域と、道北の空の玄関である旭川空港、そして北海道第二の都市である旭川を円滑につなぐことができるのです。

ルートの選定は大変重要であり、さまざまな見地から検討されるべきものですから、軽々に本稿で結論付けるような議論をするつもりはありませんが、一つの視点として示させていただきました

第二青函トンネルと苫小牧港の強化

一方、海路では、前章で述べたように北極海航路の幕開けに向けて、私は、苫小牧港の機能強化を検討するべきと考えます。北極海航路の開発が進めば、これまで以上に欧州との航路は重要になります。このチャンスを生かすためには大きく二つのことを進めなければならないでしょう。一つは、港を中心としたインフラ整備であり。もう一つは、荷を集めるシステムの構築です。

大規模船舶が接岸し荷を捌ける岸壁やコンテナのガントリー・クレーン、後背地とのアクセス道路などの整備が急がれます。また、道内外に散在する荷を迅速に集約し、効率的に捌ける仕組みをつくっていくことも重要です。行政だけの力では決してできるものではなく、中長期の取り組みとして本道の産学官の総力を挙げて取り組まなければならない課題です。

さらに、第二の青函トンネル建設について、真剣に議論しなければならない時期に来ていると思います。

北海道はわが国最大の離島です。離島振興法では、新潟の佐渡島が最大ですが、実際は北海道開発法の対象である本道が我が国最大の離島といえるのではないでしょうか。北海道と本州の人の移動は、船舶や鉄道などの交通手段もありますが、航空機に依存しているところが大きいといっても過言ではありません。悪天候や航空機の機材トラブルなど、何かが起こるとたちまち空の移動に支障を来し、代替手段が皆無になります。

物流についても同様です。鉄道貨物は青函トンネルで連絡していますが、トラック輸送については航路に頼らざるをえない状況です。青函航路は約4時間ですが、積み替えの時間やダイヤの待ち時間をも入れると、船で津軽海峡を渡るのは1日仕事となります。もしも、道路でつなげることができれば、この間を1時間あるいはそれ以下で通過できることになるのです。もし実現すれば、北海道経済の競争力を大きく引き上げ、日本の国土の4分の1を占める北の大地の利用価値をさらに高めるでしょう。

青函トンネル建設の直接の契機となったのは、昭和29年に起きた洞爺丸の事故です。1155名もの方々が死亡もしくは行方不明となった日本海難史上最悪の事故によって、海路に代わる交通手段の必要性が強く認識されました。その10年後の昭和39年に北海道側吉岡調査斜坑が着工されました。幾多の試練と挫折を繰り返しながら、昭和60年3月に本坑が全貫通します。

その3年後の昭和63年3月13日、北海道と本州を陸続きにした「青函トンネル」が完成し、函館・青森間の営業が開始されました。構想から40余年の長い歳月を経て北海道と本州の鉄道網がつながったのです。

青函トンネルは開業から約30年経過しました。事業着手からは50年以上が経過しているため、コンクリートなどの劣化が懸念され、近い将来大規模な修繕工事が必要となります。列車を運行させながらできる工事には限界があり、通常ダイヤを運行しながら大規模修繕工事をするためにも第二の青函トンネルが必要となります。

第二青函トンネルの意義について、都市計画学の権威で内閣官房参与でもある藤井聡京都大学大学院教授は平成29年2月6日付の北海道新聞「月曜討論」で次のように語っています

「北海道は約540万人という人口を擁していますが、陸路は青函トンネルの鉄道しかありません。ほかの地域からはほぼ隔絶された状態であり、青函間が人の流れと物流のボトルネックとなっています。全国の商業成長率、工業成長率を調べたデータによると、いずれも北海道だけ低さが際立ちます。ところが同じような島である九州や四国は本州と同水準。九州と本州にはトンネルと橋の計4ルートがあり、四国には3本の橋があり、行き来しやすいためです。同じ日本なのだから、第二青函トンネルは最低限必要不可欠なインフラではないでしょうか。もう一本のトンネルを掘るのか、北海道を切り捨てるのか。幸い、北海道には大きな潜在力があります。日本の食糧基地であり、エネルギー基地にもなり得ます。第二青函トンネルができれば、その力は十分に発揮されるはずです」

藤井教授が言うように第二青函トンネルは、あって当然のインフラとして、まず私たち道民が自覚すべきでしょう。

全長53・85㎞、海面下240mの青函トンネルは、工事期間24年、総工費6900億円でした。当時よりも技術が進歩しており、調査に時間を要する地質データも把握できていることから、工期は当時よりもっと短縮できるでしょう。開業から30年経過している現青函トンネルの老朽化を考慮するならば、第二青函トンネルの着工は早いほどよいのです。鉄道に限らず、道路交通も利用できる第二青函トンネルの建設を北海道だけのプロジェクトとしてではなく、国家再興プロジェクトとして取り上げられるよう取り組んでいかなければなりません。