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旅観

今日は10年前に書いた僕の旅観について書いた記事を紹介したいと思います。
旅を道楽と言ってのけているくだりもあるけれど、今や遊びと仕事の垣根をなくすことに成功している人もいます。
時代と共にそぐわない表現もあるかもしれませんが、根本的な旅観は今も変わらないような気がします。

以下、本文。

「本当に行って良かった。何が良かったかって?それはね、私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない、それを知ったこと。」
(星野道夫著「旅をする木」より)

僕は旅が好きです。
どうにか旅をライフスタイルとして生きていくことはできないか、
そんな事を考えます。

テレビや雑誌でしか知らない場所に身を置き、肌をその土地の空気に晒し、臭いをかぐ。
細胞が世界を経験している旅人は、それだけで憧れてしまう時があります。

けれど一方で僕は、旅人へは憧れと共に嫌悪感を抱くときがあります。

これは僕の持論ですが、旅とは一種の「道楽」だと思っています。
むしろ生きてくために他にもやるべき事はたくさんあります。
時間とお金を費やし、時に家族や大事な人を心配させてしまう。
旅をする人が偉いわけでは決して無いし、"やらなくても良い"モノなんです。
それを自分がやりたいから、ある種自分の我がままで決行しています。

そう”我がまま”…

何はともあれ、僕は旅が好きです。

実際に僕が旅をした時は、人生観を大きく覆された経験をしたわけではありませんが。
けれど、得たモノは大きかったと思います。
特に”世界”という言葉の印象が変化したことです。

"世界"という無限に広がるような壮大さを連想させる言葉も、思ったよりも普通に目の前に現れました。
沖縄で日常が普通に流れているように、世界にはそれと同じように日常が普通に流れていたんです。

当たり前すぎますか?

つまるところ、”世界”とは”日常の集合体”です。
様々な場所の様々な”日常”を見ることは、僕の中の”世界”が広がることでもあります。
そして不思議なことに、広がった”世界”の分、前にも増して心に余裕が生まれたのです。

この感覚を上手に表してくれたエピソードが冒頭に載せた星野道夫さんによる『旅する木』の一場面だと思います。

冒頭のセリフは、東京でせわしなく仕事に励む女性の方が、1週間のアラスカ旅行を振り替えった時のセリフです。
巨大なザトウクジラが宙に舞う幻想的なシーンを思い出し、そのセリフを言ったのです。

本では、続き、道夫さんはこう記しています。
「僕たちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆっくり流れている。
日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい。」

それは旅に行ったことのある人にのみ分かる感覚かもしれません。
これからも旅について思うことは、表現していきたいと思います。

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