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智慧・証覚・愛善・真信

智慧とは

人間が生まれながらにして神様より与えられた霊魂の先天的(内分)なものであります。
また、学力は後天的(外分)に頭脳で記憶された知識であって本当の智慧とは異なります。
学力が無くても智慧がある人、反対に学力があっても智慧の働きのない人がおります。
御魂に備わっているものであります。
 

証覚とは

霊魂で様々な物事等の現れや、証しにより覚る事、また神を覚る事であり、閃きや直感の事であります。 

愛善とは

愛善とは、善なる愛の事で真神より直接心に流入する「神なる善」(神善)で、この神善は神を愛し万物を育み愛する普遍的な愛そのものであります。
また、「悪い愛」(愛悪)とは、自己愛(自愛)や世間愛であります。
自愛とは、自己を愛し、自己中心的な考えで自己に必要な利益を愛し、他人は関係なく自分が思うようになればそれで良いという考えであり、世間愛とは、自分の人種、故郷、国土を愛する為に他に危害を与えたり滅ぼして、自分の所属する団体や仲間の事だけを守るような心狭き愛の事であります。
人間は肉体のある限り、自愛も肉体を維持して行く為には必要でありますので最低限度の自愛は許されてはいますが、真の愛に目覚める必要があります。 

隣人愛とは

隣人愛とは、自らの家族を円満に治めて、隣人と親しみ、知人友人に悩みや困難などがあれば、智慧や奉仕など自分の出来る事の助言や手助けをさせて頂く事です。
※ 神を心より深く愛し、心より神を信仰しても、隣人に対しての愛や隣人に接する事がなければ、これは自愛になりますので天界に所属する事はありません。例えば、山に一人籠り、神を思い、正しい信仰をしても、これだけでは自愛になってしまいます。培った思いや経験を日常で活かしてこそこの世で生まれた意味があり、それがこの世での修行であります。

真信とは

真信とは「真の信仰」で神を理解し、正しい神を心の底より愛し(思い)損得感情無しで神を信じ切る事であります。
そして死後の世界である霊界が存在する事を信じる事であります。
また、偽りの信仰とは、諸団体等で立派な教えを掲げていながら内心では寄付金や人集めを目的としたり、神社仏閣に寄付をして立札や石板に名前を刻む事を目的としたり、商売繁盛の為に形式だけの参拝や信仰、神社で神様に自分の願いを告げて叶えて欲しいだけの御利益信仰などの事であります。
 
心に愛善と真信の開けた人の霊魂は天界に所属して、自愛や世間愛に偏っている人の霊魂は中有界または幽界に所属する事になります。
また、人間は肉体はこの世にありながら霊魂は霊界に所属しており、人として生きている間に霊魂が天界に所属しないと他界後(死後)は天界に入る事はできません。
また、死後に霊界がある事や神を信じていない者も天界に行く事は出来ません。
 
天界に入る為には、「自らが主神や天界を意識して信じる事(信仰)、隣人を愛する事」で神より徳を授かり神様からの内流を受ける事になり、真の信仰の強さの強弱深浅に比例して、心に流れ込む内流の強弱も所属する天界の階層も変わってきます。
この内流とは「神の愛(神気)」であり、それにより霊魂が祓い清められて輝きを増し、智慧や証覚(知性)も自然に備わり少しずつ霊格も上がる事になります。
また鎮魂を行う事で、更により強く内流を受けるようになります。

厳瑞


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