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「個」は、「型」を学んでもつぶれないと思うよ。

「インクルーシブ教育」「多様性」「フリースクール」
そして、「すべての教育は洗脳である」(堀江貴文さん著)などなど・・・

学校教育について、さまざまな意見がありますね。

「個」を尊重する。大事です。話が逸れてしまうので、ここでは詳しくは語りませんが、ICTを進めるGIGA構想も、根っこはそれですよね。

さて、学校が槍玉に上がりやすいのが、「集団生活を重んじるあまり、あるいは教員の権威を保つために?校則を強いる、子どもたちが息苦しくなるような画一性を強いる」っていうようなことではないでしょうか。

うーーん。

この問題、私には、「ファシリテーターである教員のもっていき方の問題であり、学校という制度そのものに問題があるのではない」と思えるのです・・・

ただ、「時代に合わせて学校の制度自体は変わっていくべきもの」とも思います。

教員採用試験を受けるために、教育の歴史について学び直したとき、先達が試行錯誤してきた過程を想像して感動しました(笑)形骸化されているルールなども、元は、熱い思いがあったのかもしれませんし。

話が逸れてしまいましたが、学校という社会では、例えば校則などのルールや、提出物の期限などがあり、教員からしたら、それが生徒を叱責するネタとなります。

もちろん、それ自体が実社会の縮図であり、社会経験にもなるのですが・・・

まだ発達段階の彼らが、「訳もわからず怒られた、いやだ」となってしまっては、それは教育としては失敗と言わざるを得ないと思います。

でも、「その子が望むように」「好きなように」=個性を大事にする、というのは絶対違うと思います

集団生活において、教員も生徒みんなも円満に、負担なく物事を処理するために、さまざまな「期限」「ルール」などが存在しています。個人の好むと好まざるとに関わらず。(ただし、人権を侵害するような、例えば下着をチェックするなどというようなものには断固反対です。あくまでも、「みんながハッピーでいるために」ルールはあるべきです。)

例えば、スマホを校内で使うかどうかの問題。残念ながら、まだうちの学校では、不適切な使用例が起きてしまっています。ですので、校内使用は認めていません。このことは、非常に残念な例です。情報モラルを教え諭し、個人の意思に任せて使用を認め、メリットを享受させたいです、理想としては。

でも、今はだめです。学校というチームで、ルールを共有する中で、生活する大切さを説いています。「自由」には「責任」が伴うということも含めて。

提出期限などについては、厳しく指導します。「仕事」の「約束」ですから。

何だろう、表現が難しいのですが、「生徒たちと約束をする」「その約束は大事にしような」「それで、信頼関係を築いていくんだよ」という感じです。

それって・・・人間社会の基本の型だから、それをきっちり学ばせるのは悪いことではないと思うのです

真剣に、それが大事だと思うから、そういう力を身に付けさせたい。ってよく子どもたちに言っています。

↑主語が「自分」の、いわゆる「I・メッセージ」なのもポイントかも。

「お前ら、やるのが当たり前だろう!」→「You・メッセージ」って伝わりにくいと言いますね。


基本の型を身につけても、その人の個性は損なわれないと思います。むしろ、個性はより活かされるのではないでしょうか。

基本の型を簡単にできない特性のある生徒もいます。「どう工夫したら、基本の型に近づけるか」を考え、そのための配慮が必要だと思います。


学校が、個性をつぶすわけではない。

でも、教員が、しっかりと制度の大切さを説かないと、誤解されてしまいますね。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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