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JR全線完乗の旅/第30回福知山線他/2017年1月30日

大阪お休み便。JR全線完乗の旅も3年目に突入。今回は福知山線を北上する事にしました。

■福知山線(尼崎〜三田)321系

■神戸電鉄/1500系

JR福知山線の三田駅で神戸電鉄線に乗り換え。神戸電鉄三田線からさらに公園都市線に乗り換えて、フラワータウン駅で下車。「兵庫県立人と自然の博物館」を目指します。

2006年にお隣の丹波市で発見された大型恐竜(竜脚類)の化石「丹波竜」がこちらの博物館で展示されており、いくつも電車を乗り換えてやってきました。

行き当たりばったりの旅にはこれがあります。気を取り直して、今度は福知山城を目指す事にしました。

■福知山線(三田〜篠山口)225系6000番台

■福知山線(篠山口〜福知山)223系5500番台

JR福知山駅から徒歩20分で福知山城に到着。明智光秀によって城は築かれ、城下町が整備されました。織田信長は中国攻めを明智光秀と豊臣秀吉に命じ、秀吉は山陽道から、光秀は山陰道から進軍。そして丹波国を平定し、拠点の一つとしたのが福知山城です。

しかし、本能寺の変により、光秀が丹波国を治めたのは数年でした。その後城主が何度も交代する中、江戸時代中頃には明智光秀を神として祀る御霊神社が城下に建立。領民に慕われていた事が想像されます。

天守閣から見た福知山の町並み。明治時代になり廃城令で天守閣は取り壊されました。その後市民の強力な後押しを得て昭和61年に再建され、内部は郷土資料館となっています。

築城当時の様子を残す石垣は、野面積みや乱石積みという豪放そのもの。相当な数を破壊したであろう寺社の石灯籠や石仏等が見られ、「転用石」と呼ばれています。

福知山線を谷川まで戻り加古川線へ。

■加古川線(谷川〜西脇市)125系

1両編成の電車が、西脇市と谷川駅間を行き来しています。

■加古川線(西脇市〜加古川)103系3550番台

今や少数派となった103系ですが、加古川線の車両は中間電動車の2両1ユニットを先頭車化改造したもの。全く103系らしくありません。

《加古川線の思い出》

小学校1年から4年まで、加古川線神野駅近く線路沿いの団地に住んでいました。暇さえあればベランダから列車を眺める毎日。小1の頃までは蒸気機関車C12が走っていました。いつもはキハ20・キハ30・キハ35が中心の運用で、時々キハユニ25の姿を見た事を覚えています。そしてごく稀に、特急型や急行型の気動車を見ました。国鉄高砂工場からの試運転だと思われます。

そしてなんと言っても好きだったのが、午後6時過ぎに通過する6両編成の気動車。鍛冶屋線鍛冶屋行き2両、北条線北条町駅行き2両、三木線三木行きの2両を併結しており、神野駅からはみ出す長い編成と大きなエンジン音を、今か今かとワクワクしながら待っていました。
(鍛冶屋線は1990年に廃止。北条線は1985年に第三セクター化され北条鉄道に。三木線も1985年に第三セクター化され三木鉄道になるも2008年廃止。)

福知山線
(尼崎〜福知山)
106.5km
加古川線
(谷川〜加古川)
48.5km
今回乗車 155.0km
【通算】 5859.7km

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