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実際に住んだ街から紐解く、東京という街について(②世田谷区編)

②上北沢駅(世田谷区)

かくして真の(?)東京ライフのスタートとなった世田谷区。

ちょうどその頃読んでいた村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の主人公が住んでいるアパートも世田谷で、自分を重ね合わせて読み進めていた記憶がある。

現在の職場も世田谷なので縁を感じる部分もあるが、世田谷エリアは丸の内周辺を中心としたビル街とは異なる閑静で大人の余裕を感じさせる印象。

いなかでもなく、下町でもなく、都会でもない、
東京のふるさとが、あなたを待っています。
https://sg50th.tokyo/

という言葉が東急世田谷線の構内ポスターに書かれているのを最近見かけたが、まさにその感覚は住む時間が増えるにつれて徐々にその身に馴染んでいった。

東京に来て生活を送る上で地元と感覚が違うなと最初に違和感を感じたのは、買い物だった。

私の地元は栃木県の宇都宮市で、それほど田舎感を感じたことなく育ってきたのだが、やはり何か必要で探しにいくものーー例えば本やお土産等ーーがある場合、とりあえずデパート(総合デパート)に行くという習慣があった。

「そこにいけばとりあえずなんとかなる」という信頼感からなのか、必要な物をある程度集約させた総合施設が求められているのか、もはやどうしてと言われてもわからない程自然な購買行動をしていたように思う。

例えば書店では参考書一つとっても一般的なものしかないので、専門書は取り寄せになったりと気の利いた器用さはないが、代わりに眼鏡屋もあればCDショップもあるし、1階にフードコートまである。世代を越えたニーズに薄く広く対応した総合施設なのだ。

これが東京では通用しなかった。

国立での3ヶ月の準備期間を経て、いざ鍋を調達しようと思い立った若き私は、無意識にデパートに向かおうとしていたその左足を止めた。

「まてよ、この街にはデパートが、ない…」

正確に言えば新宿まで行けば高島屋などデパートの類はいくらかあるだろう。しかし1階は高級な化粧品コーナーで埋め尽くされていたし、エスカレーターを何階上がっても東急ハンズが続き、行き着く先は高級な食品街。少し、いやだいぶ求めていたものと異なる。

家から電車で片道15分と距離も申し分なかったものの、片手に鍋を持った姿で電車に乗る東京都民を私はまだ見たことがなかったこともあり、困り果てた私は、東京出身の母親に電話した。

そして東京の買い物事情についてレクチャーを受けた。ある意味で大学のどの講義より実践的であった。

曰く、東京の人は、鍋が必要になれば地元の金物屋、コロッケが食べたくなれば商店街の肉屋というように、各カテゴリー毎に必要な買い物の場所を個々に決めているのだという。

おそらく地元は車社会なので、ある程度まとめて必要なものが揃う総合施設の需要は高いからであろう。しかし東京は、徒歩と電車、ときどきバス、なんならタクシーの世界である。

それからというもの、「困ったらとりあえずデパート」という思考回路は捨て、その街に来たらとりあえず歩いてみて、「この物ならここ」という視点を意識するようになった。

なるほど、商店街には花屋、金物屋、食事処がうまいバランスで配置されていた。シムシティのように誰かが強制したわけでもないだろうが、うまくテリトリーが被らない範囲で共存し、一つの独自の色を持つコミュニティを形成している。

これが各駅ごとにあるのか。まるでアメリカ合衆国の州制度ではないか。これは強い、恐るべし東京…。

少し後の話になるが、田舎侍はなけなしのお金を握りしめ、おそるおそる地元の金物屋に潜入し、慣れた顔を振る舞いつつ、一つ、鍋を購入した。

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