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歴史はロマンでは無くドラマだ

自身の人生を振り返ると、そこには後悔の念が有り、沢山の記憶が在ります。
私は大きな勘違いをしていた?ようです。歴史は人の想念や怨念が渦巻く世界のようで敬遠してきました。敢えて近付きたく無かった。「歴史は殺戮の記録」的な表現を鵜呑みにしてきましたねー。

だからって事かどうか分からないけれど、ある意味、同じような失敗を重ねているのですが、突破口が見えて来ないのです。

縁あって、今は地方都市に移り住みました。
ある時TV番組では「ローマ帝国の物語」や「東ヨーロッパの石造りの要塞都市」などなど放送を観て漠然と「歴史ある街に住むって、どうなんだろうか?面白そうだなぁ」と思いました。

子供の頃出会った雑誌「ムー」を隠れ読むような子どもだった私は、「霊の世界」よりも「超古代文明」に惹かれました。ムー中の日本史は歴史上の霊障とか、「源氏の呪い」などのゴシックが多かったのも無気味さを植え付けた感があると思います。

人の存在感の薄い超古代文明の廃墟にロマンを抱いてたのでしょうね。

自分が住んでいる街と「歴史」は全く別世界のように見えました。
卑弥呼、大和朝廷、万葉集、防人の歌…

この街に移り住んで10年間が過ぎようと云う頃でした、市街地から離れて郊外へとドライブに行った。もう夕方になり夕焼けの空は赤く染まり始めておりました。車は唸りながら山道を走りました。暗い森の中を走り回って一体何処を走っているのか?この道は大丈夫なのかなぁ?
そう思ってると突然、森を抜けて視界が開けると、其処には古代文明を思わせるような塔のシルエットが夕陽の中、真っ黒に有るのです!
「な、な、なんだこれ⁈」

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私はイキナリ「古のロマン」へワープしてしまったのです。

それから後、「歴史への招待?」を受け入れた私にメッセンジャーが訪れました。「城跡公園の桜の下deフットパス」、「歩きのコーディネイト」、「歴史案内ガイド」、「水運と米作文化」、「南朝VS北朝の時代」、「白村江の戦いからの日本」、「装飾古墳の意味」更に時は「弥生時代の米作伝来」へ下ってゆきます。環濠集落?って佐賀の吉野ケ里だけじゃないの?
えええ!ココにも在ったの。三つも在ったの!
そう云えば道路標識の横に「なんとか跡」って立て札がやたらと在るよね。城跡とか。古墳とか。

我が家は小高い丘の上に建っている。公民館前標識が建っているのは知っていた。「ココには12000年前の集落跡が…」と書いてあった。


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