過程と結果 ──自ら設定した虚構を生き遂げる──
様々な概念、名称がこの世界にはある。
例えば、救世主なら、人々を救い、幸せな世界を創り行く過程と結果によって判断されるであろう。
圧政者、偽善をなし実は人々を虐殺し続けた存在であるならば、その内容によって計られるであろう。
しかしながら、その圧政者が人々の数を減らした後、これまでで最高の皆が幸せに生きている世界を創り上げたら、その者はなんと呼ぶのが適切なのであろう。
悪魔にして神、それがすべての人間存在に当て嵌る定義なのやもしれぬ。
だが、その者に虐殺された者たちからすれば、それは幾度無惨な報復を加えても、決して赦せぬ存在であり、これ以上ない幸せを与えられた者たちからすればどんなに感謝し讃えても、敬愛し足りることのなき存在であろう。
つまり、その者に如何なることをされたかにより、或る者はそれを讃え、他の者は彼者を悪様に唾棄するであろう。
若い頃は手のつけられない悪者も、歳を重ね年配者となった後、誰もが称賛する慈愛深き人格者となっていたり、その逆もある。
黄門様と呼ばれている光圀公は若い頃は辻斬りなどもする非道を働いていたという話を聴いたことがある。
それが事実かどうかは多分、今となってはわかるものはいぬと自分は想う。
斯く言う筆者も大学の頃まで、相手の心情などは汲み取れず、なんでも疑問に感じたことは尋ねる、とても迷惑なモンスターだった。
基本、相手に尋ねられたことはなんでも答える。そんな自身だった故、まさか、相手が自身の内面で様々な葛藤を抱えている、とは想像だにしていなかった。
高校時代の恩師・主濱幸彦先生のご自宅に社会人となって間も無く、数人のクラスメイトと飲み会に招かれ、先生はおっしゃられた。
「ナヤも漸く、人間になったな」
つまり、学校を終え、ちょっとはそれぞれの人の内面的事情をようやっと察せられるようになったのだ、という安堵の御言葉だったのだろう。
しかし、年齢も30代半ばの時、行きつけの珈琲店の店主に言われた。
「あなたは嘘を許さない」
自分は其時は意味がわからなかった。
色んなお客さんとかと話していても、概ね、皆を笑わせたり、和やかに会話をし、大声を挙げたり、相手が嘘を吐いている、などと詰ったことなども一度もない。
自分は話していて、浮かんだ問いを相手に投げかけていた。ただ、それだけ。
そして、相手が話しているうちに結果的に矛盾したこと所謂嘘をついてしまった形になってしまっていることにさえ、気づかなかった。
ただ、相手を知りたい。そう想い、どうにかして、明るい方向に話を持っていき、言葉の文の連なりで笑いを齎そう、そう努めていた。
マスターにはよく、
「言葉のしりとりはやめなさい」と笑いながら、指摘された。
バイトの大学生の店員に様々、聞き過ぎて突発的に怒られたことも。
いつも自分は相手に
「あなたは何者だ」そう問うていた。
そう問うことで、自身が何者か(ただの迷惑な痴れ者、今だったらそう感ずる)を証していた。
ある喫茶店の2つ年上の女性雇われ店主とはとても深いところまで話し、言語不明瞭な自分の話を聴いていた年配男性は、彼女に
「なんて言っている ?」そう尋ねると、彼女はわかり易く翻訳し
「なんで日本語話しているのに翻訳が必要なのよ」
と笑った。
相性のいい人は一定数(そう多くはない)いて、結構、様々、他の人とはしない話までするので、大抵その人が自分の通訳者となる、ことが多い。
EQテストの本を見たら、「自己完結型」所謂、一人遊びというか孤独でも寂しさを感じず、かえってなんなら、その方がいいらしい。
でもなあ‥‥
今年でもう直ぐ、干支が一巡りする。
これから、如何なる生を歩むかは知らぬ。
これからも孤りなのか。
それに対する悲壮感はない。
しかし、些か飽きた。
まあ、在住しているのは永らく岩手なのでその隣は秋田、からなのか──
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