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わび寂びライカ EU

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わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮っ…
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#忘れられない旅

わび寂びライカ

わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅 出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした 泥縄そのものであった そんな初心者が プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮って ピンボケだらけのネガの山を築いた アッシジの路地裏 あ、同じカメラを持っている! と お互い思わず駆けよった相手がドイツの女子学生であった ベテラン風情の彼女は プロ風にニコンを「ナイコン」と発音して ライカより良い「キャメラ」、と その後、イタリアの失敗写真から抜けだそうと F3のシャッ

2000年 仏ボルドー  貴腐ワインのシャトーフィロ 貴族の主が 自らグラスをならべワインをふるまう 絵を指して妹の絵を描いたのは 藤田嗣治、と 地下の暗く冷たいセラー 古ぼけた木箱のなかに1890、1911年… びっくりな年代もの 家族の祝い事にコルクを抜く ああ!!

海の向こう隣りはニューヨーク  

横なぐりの雨風が荒れ狂う 帽子のうえにフードをかぶる パンツまでぬれはじめた ヨーロッパの西の端アイルランド本島の ゴールウエイから さらに西の孤島アラン 夫と5人の息子をつぎつぎ荒海にうばわれ 最後にのこった息子も風浪にのまれ 「みんなこの世を去ってしまった。 だから海はこれ以上、 私にどうすることも出来やしない……」 と年老いた母は十字を切った シングの戯曲『海へ騎りゆく人々』の 忘れがたい科白だ 石ころと岩だけの不毛の島は 海に生活の糧をもとめた 木組みに布をはり

運命の石

ダブリンの北西30キロにある小高いタラの丘 羊のフンをふまぬよう、そろそろ登って行く あたりはなだらかな牧草地で 羊の群れが草を食んでいる アイルランドに渡ったケルト族は 部族ごとに分かれ小国が争っていたが 王のなかの王ともいうべきタラの王をえらび その王のもとにゆるやかな連合をつくった タラの王は 宗教的な役割が色こくシンボル的存在であった 大陸からキリスト教が伝わり全土に広がるにつれ タラは影をうすめ 10世紀ごろ、タラの王座は消える が、この丘は アイリッシュ

神の声をきいた

アアー、アアァーアアアァー  厳かな声が 天から降りそそいでくる これはなんだ、神の声ではないか…… じつは僕の声が 高い円天井にこだましているのだった その間およそ8秒 赤茶けた荒地にオリーブの樹がひろがる丘を 幾度となく登ったり下ったり グラナダから車で60分のモンテフリオに着いた 白壁の家が 丘の斜面に連なる住民2000人だが スペインでもっとも美しい村といわれる 道ばたの八百屋から出てきた老人に誘われるまま 教会裏手の扉からドームへ通じる狭くて暗い すりへっ

聖母被昇天

1995年  ヴェネツィア サンタ・マリア・フラーリ教会 この教会の祭壇をかざる「聖母被昇天」 ヴェネツィア派絵画の 巨匠ティツィアーノの最高傑作だ 聖母マリアの眼差しは天国に向けられ 見る者の視線をも方向づける。 金色の光のなかで 神は身をかたむけ天に召される マリアを待ちうけている 下では空になった墓から マリアを見あげて パウロ、ヨハネらの使徒が おどろき動揺している バロック的でダイナミックな構図 全体をつつむ暖かい色彩 神々しい金色のかがやき 赤い衣をまと

コペンハーゲンの「解放区」

足を踏み入れたとたん、息をのみ立ちすくんだ スプレーで描いた前 衛的な絵や落書きで 壁一面がおおわれた廃屋群のど真中 ヒッピー風や 子連れの黒人親子もそこかしこ 人々の表情は、わりと穏やかで知的な 顔も見えるが ニヒルな雰囲気があたりに漂っている コペンハーゲンの町外れ、運河に囲まれた一角に クリスチャニアと呼 ばれる「解放区」がある 一九七〇年代、軍隊の兵舎や倉庫だった空き家を 浮浪者、元犯罪者、ヒッピーの若者、ヨーロッパ流れ者が いつ の間にか無断占拠してしまった

遠く異郷の街 コトル

足もとにボールが転がってきた。 顔をあげると3、4歳の坊やがにこにこ笑っている。 カフェの椅子から立ちあがり、サッカーボールを蹴りかえした。 モンテネグロがほこる世界遺産の街コトル。 クロアチアのドブロブニクから 陸路バスで国境をこえモンテネグロに入ると、道はがたがた。 アドリア海をのぞむ断崖のガードレールは、赤錆がうかび心もとない。 2時間ほどで海沿いの小さな街コトルに着いた。 城壁にかこまれた旧市街に足をふみいれると、 中世の裏街に迷いこんだかのよう。 広場のカ

この世の天国 ドブロヴニク

夢うつつに何か聞えてくる たしかに窓の下から、かすかにコトコトコト…… 寝ぼけ眼で重たい鎧戸をあけると 真下の広場では、うす暗いなか 採れたての野菜、果物、花などをならべている まもなく朝市がはじまるのだ 多民族国家ユーゴスラヴィアを治めてきた英雄チトー亡きあと 連邦のタガがゆるみ、1991年、クロアチアが独立を宣言 それはならじとセルビア人を主とするユーゴ軍が侵入 クロアチア内戦が起きた ユーゴ軍とクロアチア軍、住民同士であったクロアチア人と 独立阻止の少数民族セルビ

読書する女

分厚い本を読んでいた金髪女が 顔を上げたとたん、視線が合った。 飾り窓の中から秋波を送られたか。 ドイツの思索家ベンヤミンの至言が、 頭に浮かんだ… 「本と娼婦は、ベッドに連れこむことができる」 ハンブルクのレーパーバーンは 「世界で最も罪深き1マイル」といわれ、 昔からの大歓楽街。 すぐに「飾り窓」を連想する向きもあろうが、 健全なバー、ライブハウスやストリップ劇場が 軒をつらね、ナイトクラブめぐりの観光バスまである。 だが、しつこい客引きが表通りにたむろし、 鼻の

パンツの洗濯

ミラノのホテル。 ホテルのクリーニングが 間に合わなかった。 洗ったパンツを 振りまわして水を切り、 ドライヤーで乾かすこと3、4分。 まだ生乾きのパンツをつけ タクシーで空港に急いだ。   綿パンの尻にうっすらと 地図模様が浮かんでいる。 バッグで尻をかくし蟹の横歩きで、 ファッションの街から 水の都ヴェネツィアへ 機上の人となった。 旅の準備は、 パンツの枚数を先ず決める。 こまめに洗濯すれば、 数は少なくていい。 浴槽にぶちこみ足でふみ洗いする。 バスルームは、

カフカの墓

晩秋のプラハ。 旧ユダヤ人ゲットーのあたりを歩きまわって フランツ・カフカの『変身』が浮かんだ。   若いセールスマンのザムザが、 朝、目覚めると毒虫に変わっている自分に 気づく不気味な小説。 「これが僕の高等学校、むこうの、 こっち側をむいた建物の中に僕の大学、 そのちょっと先の左側が僕の勤め先」と カフカは、小さな輪を二つ三つ描き 「この中に僕の一生が閉じこめられている」 と旧市街広場を見下ろしながら語っている。 結核のため世を去るが、 41年の生涯、 ほとんどプラ

プラハの若いふたり

古都の香りただよう プラハのビヤホール 口あたりが良く且つ重たい本場もの ピルスナーを ごくごくと喉に流しこんだ そこへ栗毛の若い女性が 声をかけてきて 「日本からいらっしゃった方ですか」 今の日本人が忘れたかのような 整った日本語、しかも美人で 聡明な雰囲気の持ち主だ カレル大学哲学部で 日本学専攻の三年生、名はユリエ 日本人みたいな名前でしょ と笑った 彼女は なんと三島由紀夫の ファンだという 『金閣寺』など二〜三冊 むかし読んだきりで いまや三島文学は、

ワイン小咄

ブルゴーニュの銘酒街道の一角。 十字架の列が目にとびこんできた、村人の墓。 まわりのぶどう畑では、せっせと房を摘んでいる。   このあたりにこんな歌が伝えられている。   もしも、わたしが死んだなら 墓穴のなかのわたしのそばに なみなみと注いだワイングラスを 忘れずに置いてくれ ……… もしも俺が死んだなら 酒蔵のなかに埋めてくれ いいワインのある酒蔵だ 酒蔵のなかだぞ いいかい よいワインでいっぱいの酒蔵だぞ 俺の墓石のうえに刻んでおくれ 「酒飲みの王 ここに眠る」