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野球人生の分岐点となった大学時代に私がインスパイアを受けた3人の野球人 - Who Inspires You -

小学校から社会人までの20年間が私の野球選手人生

スポーツが、野球が、野球を通じて知り合った人からいただいた沢山のもの

人生の分岐点となった大学時代にインスパイアを受けた3人の話をします

東北福祉大学という野球の名門大学に入学した和歌山の公立高校出身の私

入学前に行われた練習体験から度肝を抜かれた

毎年、数名のプロ野球選手を輩出する大学の練習に圧倒されたのだ

練習体験に来ている同級生も、甲子園常連校の選手、一緒にキャッチボールをした選手は大学には入学せず、プロ入りした

そんなスタートだった大学野球生活

近畿大学総監督の松田さん

一年生から1軍入りして、上級生と一緒に練習をする同期、試合に出場する同期

対照的に、実力不足でなかなか結果も出せずに2軍でくすぶる私

2年生の夏後半だったと思うが、アドバイザーとして来られたのが近畿大学総監督の松田さんだった

松田さんは、すごく声が小さく、練習中も円陣の外側にいると聞き取れないほどだった

松田さんの教えを聞き逃さないように懸命に聞いた。ノートに残した。打撃練習に取り入れた

打撃練習は後ろと目の前から録画して、テープが擦れ切るほど何度も見返した。日に日に上手くなっていく気がした

秋の神宮大会で1軍が忙しいため、2軍の若手メンバーで国際大会に出場することになり、メンバーに選ばれた

でも、結果は残せなかった

3年生で1軍に入れなかったら、選手としての人生は諦めて、教員になるため、教員試験を受けることに専念しよう。と覚悟を決めた

来春ダメだったら選手人生最後の冬になる、背水の陣。松田さんに言われたことを頭と身体に叩き込むように冬の猛特訓をした

2月の春キャンプは沖縄だった。松田さんも来てくれていた。沖縄では付きっきりで教えて頂いたような記憶さえある

全学年混合で4チームか5チームでの総当たり紅白戦が行われた。

最初の試合は7番か8番辺りの打順だったと思う。結果がでた。特にチャンスには本当にチカラが出せた。紅白戦の最終戦では4番を打たせてもらってた。紅白戦最優秀選手に選ばれた。1軍入りし、レギュラーにまでなった

松田さんが教えてくれたことは、基本の大事さと、ものごとの本質を突き詰めること

調子が悪くても、小手先で修正しない、根っこにある部分を正すことで、全てのバランスが良くなる

どれだけ試合で調子が良くても、試合後は素振りをして、基本のスイングに戻す

松田さんからの教えは、野球選手を辞めて、ビジネスの世界でも役に立っている

同期でキャプテンの結城

私にとってのキャプテン像と言えば、結城。1年から1軍、レギュラーとして試合でも活躍。リーダーシップもあるし、突き進むチカラがある

大阪の有名高校からきた結城は同期だけど。2軍の私からすると遠い遠い存在

背水の陣で臨んだ2年生冬の練習、精神論に近いところはあるが、誰よりも1番長く練習する、バットを振る、素振りをすると決めた

そんな冬の練習で、最後を競うのは結城が多かった。レギュラーの結城がこんなに練習するのか!と思った。だから、レギュラーなんだと

この冬だけは結城にも譲れないと本当に最後まで頑張った。結果、先の通り、3年でレギュラー入りできた

4年の春キャンプ。アリゾナからロサンゼルス入りしたホテルの駐車場で夜の素振り

この時も結城と2人、最後になった。この時はお互い絶対に負けないと思っていたはず。やめられなかった

ホテルの敷地外から銃声が聞こえた。でも、やめられない、銃声にビビりながら。キャプテン結城に1つでも勝っていることがレギュラーを張る自分の支えだったから

そんな時、雨が降った。キャプテンから声を掛けてくれた。明日も練習あるし、上がるか!と。やっぱりキャプテンだった

結城から努力とリーダーシップを教わった

7年間チームメイトでエースの吉見

和歌山の公立高校から東北福祉大まで7年間、同じチームでプレーした吉見

自分で言うのもおこがましいが、高校時代は私の方がチームメイトや後輩から信頼される選手だったと思う

大学で立場は一転する。吉見は1年から1軍入りし、1軍で実力をつけ、あの1軍の試合でも登板

あっという間に、チームの中心選手になった

2軍でくすぶりながらも、吉見に負けたくないのライバル心で、1軍の練習の合間で練習に打ち込んだ

3年で同じ1軍、レギュラー入りするも、あっという間に取り残される。吉見がシドニーオリンピックメンバーに選ばれ、日本代表として登板した

吉見が投げるオリンピックの舞台を、伊藤監督、高校・大学の同期である私と、メディアの皆さんと一緒に監督室で観戦した

吉見のことを本当に誇らしいと思った。でも、それ以上に悔しかった。吉見は帰国後、オリンピックのピンバッジをくれた

ここから私の目標はオリンピックとなる。結局、野球選手として4年後のアテネオリンピックにも出れなかった

今、マーケターとしてオリンピックに携わっているのは、何かの縁だとも思う

吉見からは、いや、吉見は吉見自身が私のライバルであり、常に前を走ってくれたことが私をインスパイアしたのだ

これが私にとっての #スポーツがくれたもの

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