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(3)長兄の登場と、 元長男・次男の立場と


 圭吾は母違いの兄夫婦、太朗・ヴェロニカ夫妻に見送られ、太朗の母である柳井総理と、ビルマ・ラングーン国際空港に駐機中の政府専用機に乗り込んだ。
カリブ海の別荘で、圭吾は太朗夫妻と初めて接し、語り合った。この夫妻ならではの魅力を感じた。父によく似た表情と声は、火垂兄や歩兄を上回る。兄弟の中でも最も父を連想させる存在だと認識するのと同時に「長兄」という言葉が浮かんでいた。
会話の内容や組み立て方であったり、返ってくる言葉が予想外でもあり、意外とも言える言葉の数々に魅了された。
太朗が学生時代を除けば台南と東南アジアの地で長年生活したからだろうと自己分析した結果を話してくれた。「発想自体が、台湾人であり、アジア人なんだと思う。思考的には台湾紙とバンコクの英字紙、共にリベラル紙を読んで育った。日本の基準では左寄りになるのかな?そうなったのも両親・・死んだ父は育ての親に当たる訳だけど・・2人から影響を受けた。新聞を読んだ後で、毎日のように日本語と英語で意見を求められて、議論をするのが日課だった。コーヒーと果物栽培をしている農家だったから、両親はいつも家に居たんだ。
学生の4年間だけ、横浜の祖母の家、まぁ母の実家だね。祖母が購読していた日本の新聞を読んでいた。リベラル紙と言われてるあの会社だ。物凄く体制に媚びる一面がある、中途半端な立ち位置の会社で、全然意見に筋が通っていない。お前らリベラルの名を語るなよと憤慨していたよ。今もそのスタンスは変わっていないけどね。日本の新聞社はどこも購読するには値しない会社ばかりだ。いずれ、台北とバンコクの記者を集って、金沢あたりで英字紙を立ち上げようと考えているんだ。完全中立のオピニオン誌を日本で立ち上げる。英文は簡単に各国語にAI翻訳出来るからそれでいいだろう?それで同じように北朝鮮、ASEAN、中国、台湾でも販売して、ReutersやNewsweekのアジア版規模の会社にするんだ。
まぁ、そんな夢はさておき、結果的に日本での4年間は友達を作らないまま、台湾へ帰っていった。
当時の日本企業は一斉に傾き始めていて、魅力を感じなかった。弟の治郎には悪かったけど、家を継ぐ事しか考えていなかった。どう試算しても家を継いで、事業を拡張した方が日本でサラリーマンをやるより収入が良かったんだ。それに当時の日本では起業するのも不向きな社会だった。台湾の方がまだ良かった。君達3兄弟がプロサッカー選手を選んだのは当然だ。それだけの才能に恵まれて、サラリーマンの生涯年収を超えてしまうんだから。歩だけが、事故で願いが叶わなかったのは残念だけど、あいつはガッツで外交官になって、自分の可能性を広げた。それも、君達が大学を卒業した時には、お祖母さんは総理大臣で、父さんは国連事務総長だ。プルシアンブルーは世界一の大企業になっていた。サッカー選手の引退後も指導者としての道もあるだろうが、経営者にも、政治家にも成れる。こんな将来の選択肢が豊富な家は無いよ・・
僕にはそんな多彩な選択肢は無かったから、台湾へ戻る事しか考えていなかった。
結局、学歴を作りに行っただけの4年間だったな。台湾の大学を選んだ方が良かったのかもしれない・・」

「スポーツは何かしなかったんですか?」

「サッカーの選択肢が台湾、特に台南市には無かった。もし、やっていたらどうだっただろうと考えるようになったのも、君達兄弟の存在を知った12年前の事だ。台湾は日本と同じで野球が一番盛んなスポーツだけど、あまり魅力を感じず、中学・高校ではバスケをやってた。ほら、身長は父さん譲りで大きい方だったからね。でも、日本人という理由だけで試合に出して貰えなかった。一番上手いのに、悔しい鬱屈した思いだけが積み重なった。まぁ日本の占領期を快く思わない教師も大勢居たんだ。台湾も閉鎖的な部分があるんだよ。当時の日本ほどではなかったけどね・・」
寂しそうにそう笑った。

子供の頃から、火垂は長男としてあろうとし、同学年の歩が火垂を支え、頼られる参謀役で、圭吾はこの2人の兄達を特に慕って育ってきた。
それに兄弟が多いので、父を独占する機会は少なかった。高校生になった時には大臣になっていて、その翌年にはNYに行ってしまった。その父の不在を、祖母、母、兄達が補ってくれたような気がする。

それが太朗に出会った今になって、父親って、こんな感覚なのかもしれないと接しながら感じていた。太朗が年齢も40過ぎで、自分より15以上も離れているというのもあるだろうが、太朗だけでなく夫妻としても情を抱いた。
このラングーンで太朗とよく飲みに出掛けたという歩が、「太朗兄さん、ヴェロニカさん」と親しげに話していた理由が、2人に出会った事で分かったような気がした。

「俺からすれば、歩や圭吾はこんなに年の差が離れてるんだぜ」と太朗は、零や陸達の頭を撫でて笑っていた。・・確かに15以上の差は大きい・・とリク達と自分達の世代差を思い出しながら納得してしまう。自分たちでさえ、リク達を「お子ちゃま」と呼んでいる。結局、同じなのだろうなと・・

「昨日はどこへ行ってきたの?」機内に入りながら柳井首相に聞かれる。

「パガンまで遠征して、遺跡見学と古都巡りをしてきました。古い街が何故か昔から好きでして・・」

「あなたもお父さんに似たのね」

「え?」

「横浜で生活してた頃は、3月4月位でデートにいくなら、鎌倉だったんじゃない?」

「え?・・あ、そうかもしれません・・・」
・・兄達みたいに回数や経験があるわけじゃないけど・・

「海が澄んでくる頃になると三浦半島。夏は暑いから映画館とか博物館とか建物の中。秋は丹沢・奥多摩って感じかな?」

「ええっとですね・・」上を向いて思い出す・・

「君枝も、あ、阪本の下の名前よ・・そう、彼女ともそんなコースだったんだって」

「あー、確かにそんな感じだったかもしれません。僕のデートに関する事前知識は父からというより、兄達に聞いた口ですが」

「そうだったわね。あなたにはお兄様達がいらっしゃるものね」
・・そうだった。何でもかんでもモリに頼ったり、モリ基準ばかりではいけない。今回のように頼れなくなる日が突如として現れる。右足はまだ動かないらしいし・・

「ええ。でも、これからは太朗兄さんとヴェロニカさんにも相談するようにします」

「えっ? あ、そうか。そうよね、全然不自然じゃないわね・・」・・そもそも、兄弟同士なのだ・・

首相は一番いい座席の前で立ち止まる。圭吾はタダ乗りさせて貰う立場で政府関係者でもないので、機体の後部座席へ向かう。ここで別れた。
ラングーンから羽田まで、音速で2時間。あっと言う間に到着する。

ーーーーー

樹里がベネズエラへ取り寄せた、プルシアンブルー製の新型製麺機は、大統領府の厨房に据え付けられた。
この製麺機が奥方大臣の人気となる。中高年層にとって昼食は蕎麦・うどんで十分だった。
ベネズエラ特有の熱帯気候で、ざる蕎麦、ざる饂飩は最適な軽食だった。乾麺を茹でていたのに比べれば、生麺はご馳走だ。この日の饂飩の製麺設定は「コシ強め」「讃岐うどん」を選択したものを茹で、味わっていた。

この大統領府内でのランチの光景を、杏が動画に纏めて、ほっくりっく社に報告した。
「あなた達の蕎麦とうどんは、大臣達の胃袋を満足させ、ランチメニューを一変してしまいました。畑で取れた薬味をフルに活用して、美味しそうなうどんを、一見、冷やし中華のように食べています」と。

この動画を見た香澄社長は、カナモリ首相の「薬味の盛り付け」に注目した。
摩りおろした生姜と白ごま、刻んだ青じそとミョウガとネギを、ざるうどんに遠慮なくドバドバ山盛りに載せて、そこに「不二そば」のツユを掛ける。翌日は温かい蕎麦だったが、豚のバラ肉と葱を軽く炒めたものを丼にトッピングし、乾燥した柚子の皮と京都の七味唐辛子を眩していた。
どちらも大臣達が美味しそうに食べていた、首相のセンスを絶賛しながら。


凄く美味しそうな映像だった。
早速、真似して試食をすることになった。階下のイ・オンスーパーで販売している野菜、バラ肉を調達してくると、本社の開発室の厨房でぶっかけうどんと肉そばを作って、啜った。

「あー、これだぁ・・」 ざるうどんは、蕎麦のように麺つゆの入った器に薬味を入れて、そこにザルに盛られたうどんを箸で摘んで、ツユに付けて食べるスタイルにしていたが、「ぶっかけうどん」はメニュー化していなかった。これだけ薬味が豊富だと、味に変化が出ていいかもしれない。特に年配者には好まれるだろう。

試食していたメンバーが言った。
「関西、山陽、九州の店舗はこのぶっかけうどんと肉うどん、肉そばを主役級にして、行きませんか?店名も関西より西では不二そばを使わず「不二うどん」で統一するのです」

「肉うどん、肉そば は、カレー南蛮に昇華させてもいいかもしれない・・」何人かが、それも作ろうと、各種のカレールーを階下にあるスーパーの売り場に買いに行った。

「確かに東京では蕎麦の売上が7割を占めていましたから、うどんはあまり考えていませんでした。関西圏、九州に展開する際も、更に考える必要もありますが、うどんのメニューは蕎麦と切り分けて考えた方がいいでしょうね・・」香澄社長が言った。

それに店舗を拡大するなら、来年の冬向けに契約農場を確保しておく必要がある。
東南アジア・台湾・沖縄という温暖地で青しそ、みょうが、葱がふんだんに手に入るようにして置かないと。冬になったら薬味の量をケチるようになったらいけない。

ーーーー

関内駅前のプルシアンブルー本社と本牧の基礎研究所の食堂では、この製麺機が既に活躍し、蕎麦とうどん、そして「不二そば」の牛丼とカレーを提供していた。カレーの開発には、サミア社長が関わった事が社員にも知られていたからだ。
牛丼380円、カレー350円、この値段の違いは単純に使っているビーフの量の違いだろうが、急に社員食堂の単価が下り、総務部の食堂担当者は困惑した。定食に用意した食材が余るようになってきたからだ。社員の昼食費用も平均で500円を下回るようになってしまった。

プルシアンブルー本社で会長の山下智恵と会談していた、内閣官房副長官の柳井治郎は昼食を食べようと、社員食堂に一緒に向かい、そこで「不二そば」と遭遇してしまう。
サミア社長のカレーと月見そばのセットを食べた。まだ2月後半である。

「む!」蕎麦を啜った治郎は唸った。「こりゃ、ウマイ・・」

「不二そばっていうチェーン店をほっくりっくが始めたんです。ほら、あの社員が食べてるお寿司は、宅配寿司の人気店と同じものです。寿司のアイディア自体はベネズエラから逆輸入したものですけどね」

「あ、それは僕も母もすっかりファンでよく取り寄せて食べています。赤坂界隈の高い寿司屋よりもネタは新鮮で、握り具合も見事で、とても旨いですからね。東京の寿司屋は築地から豊洲とワンクッション多い分、鮮度が落ちる。だから、遠洋漁業の冷凍マグロの握りが関東では主流になった。冷凍だから差が出ないので。ブリ、アジ、カツオ、味に差が出る魚の場合、産地直送の方が旨いのは当たり前です」

「副長官、ひょっとして「誰が」握っているかご存知ではなかったのですか?」

「誰がって、それは人でしょうけど、北朝鮮やタイの人達でしょうか? まさか、回転寿司屋さんにある、寿司ロボットではないですよね?」

「・・ご存じなかったのですね。弊社のロボットが握ってるんです・・」

「ええっ、ロボットなんですか?」

「はいロボットとは言え、AIロボットです。バスや電車を運転している「人と同じ掌の感覚」を持ったロボットが握っています。金沢の寿司職人の技を盗んだんです。そのお蕎麦も、蕎麦打ち名人の技を、製麺機で再現したのです」

「名人級が機械で再現出来るものなんですか?」

「副長官は寿司と蕎麦を召し上がりました。如何ですか?機械が手掛けた食べ物は?」

「あっ、そうか・・この蕎麦とカレーセットは500円ですが、原料ではなく、人件費の方を機械が作ることで抑えているということですか?」

「その通りです。ベネズエラのBlueStar製薬の製薬、生活用品の工場、RedStarの半導体工場、家電工場、HookLikeのパンもアイスも、そして大統領のお酒も全て無人工場で製造されています。代わりにロボットが24時間365日作ります。北朝鮮とASEANに展開している工場の方が、人件費分の収益が悪化するのです。それで、この10年間、単価の安いものは人件費の安い北朝鮮にシフトして来たのです」

「ちょっと待って下さい。それは僕も初めて伺う話です。与党議員は誰も知りませんよ?」

「副長官は総理のご子息なので、例外なのかな?と推測していました。柳井家はそこは徹底されているのですね・・。確かに、北前・社会党の大臣経験者だけに公開されている情報です。だからこそ、ベネズエラはアメリカ市場を席巻することが出来たのです。品質の良い物が、中国品の値段で販売できますからね」 山下智恵会長の説明で様々な事が腑に落ちた。そして、ふいに寒気が襲ってきた。

「人件費が掛からない・・そんな、それでは、勝って当たり前って事ですか?」

「AIを制したものが勝つ。これがプルシアンブルー社発足時のモリのコンセプトでした。第1世代のAIを完成させて、車や飛行機に搭載したのが2021年でした。これは世界を変えてしまうと、私たちは考えました。このAIテクノロジーを様々な生活の場でのテストを始めたのは第4世代AIが完成した昨年でした。丁度、モリがベネズエラに拠点を移しました。
その僅か1年間でベネズエラは変貌しました。北朝鮮と日本ではバスと車だけにAIを提供し、それ以上の活用方法は思い留まった10年間にしました。AIが暴走しないか、自立しないかを検証しながら、世代を進化させ、ゆっくりと成長過程を分析して参りました。
北朝鮮は1次産業に特化した地域であり、経済だったので、それで良かったのです。副長官も携わったタイとビルマでは、お兄様に引き継がれてから建設業、建設素材の比重が高まり、そちらが経済成長の原動力となりました。
何れにせよ、このベネズエラでの経験を経て、私達は確信したのです。このテクノロジーは私達が守らなければならないと。もし、アメリカや中国に安易に提供をしていたら、恐ろしい世の中になってしまうかもしれません」

「それこそ「2001年宇宙の旅」や「猿の惑星」のようになっていたかもしれない?」

「仰る通りです。そうなっていた可能性は極めて高い。日本の企業であった事、そしてモリという天才経営者と天才エンジニア、サミアが出会って始まったプルシアンブルー社、そのAIが完成して抑止力となったのです。2034年時のレベルのAIが他国や他社で誕生する可能性は今年、ゼロになります」

「ゼロって言うのは・・マーズアタック計画でしょうか?」

「ええ、そうです。宇宙空間であっても、ロボットの生産性は8時間働く人類の3倍以上となります。そもそも眠る必要がありませんし、食事やトイレや休憩時間も、呼吸すら、ロボットには不要です。人類を送り込むよりも、遥かに効率がいい手段ですよね。
また、私達は火星で留まるつもりはありません。火星は単なるステップに過ぎないのです。本当の意味で、火星は基地となります。プルシアンブルー社の最初の前線基地として・・今年の秋、前倒しで宇宙に進出します。既に最終段階に入りました」

「それが、今回の本題ですか・・」

「はい、大変申し訳ありませんでした。500円のランチを召し上がって頂きながら、するような話ではないのですが・・
食べ終わりましたら、厨房にご案内します。我が社が開発した製麺機が置いてあります。これが、手打ち職人並の製麺レベルだと言うのをご覧いただきます」

「AIか・・AIが加わるだけでこんなに美味しいものになるんですね・・」

「そうです。人件費が掛からなくなる分、原料に拘る事ができます。
蕎麦はウクライナの日本農場で取れたものを使っています。蕎麦つゆは、気仙沼の鰹節と千島昆布でお出汁を取って。因みに、この製麺機のアイディアも含めて、考えたのはほっくりっく社の日本法人の社長です」

「確か、岩下さんとおっしゃいましたっけ・・コンビ二事業とドローンによる宅配寿司・宅配ピザを考えた方でしたよね? そうですか、彼女のアイディアでしたか・・まるでどこかの国の大統領みたいですよね。あの御仁と同じような発想の持ち主なのでしょうか・・」

「彼女がモリを慕っているのは間違いありません。彼女にすれば、養女達には負けないという反骨心があるように見えます。ゆくゆくはアメリカ本社の社長の座を狙ってるかもしれません」

「養女には負けないって、それはまた剛毅な方だ・・」

「イ・オンの買収を検討始めた時に、彼女が真っ先に同意したんです。スーパーの店舗数で、アメリカ本社を大きく上回るって。彼女にとって、吸収合併したイ・オンを成功に導くのが当面の目標なんだと思います。アメリカよりも売上額を圧倒すれば、周りの評価も変わってきますからね。いずれ、政治をやらせても面白いかもしれませんよ」

・・なるほど、候補として考えておくのもいいかもしれない・・治郎は岩下香澄の名前を心に留めた。

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首相官邸で、官房長官主導の閣僚会議を終えた大臣達は、昼食の為にそれぞれいつものメンバーに分かれた。櫻田外相と越山厚労大臣は、赤坂見附のHookLike Cafeへ向かおうと席を立った。

「一緒にランチどう?いつものカフェだけど」櫻田が美玲北海道開発担当に声を掛ける。

「あ、ご一緒します!」函館店のカフェでバイトしていた美玲は、当然のようについて行く。赤坂見附の駅に向かって横断歩道を渡ると、立食い蕎麦屋の前の人だかりが凄かった。

「この店、凄い人気ね・・」櫻田が呟く

「ここ、ほっくりっくがやってるんですよね。まだ食べたことが無いんですが」美玲が言う。

「え?そうなんだ。知らなかった・・」
娘達がベネズエラに行ってしまい、神谷町の本社に顔を出さなくなった越山が驚く。社長の香澄もスーパー買収後は海浜幕張に引っ越してしまった。
・・あの香澄が、立ち食い蕎麦の経営を始めたの?まさか・・

「ねぇ、女性も結構居るわよ。試してみない?」好奇心旺盛の櫻田が誘う。ほっくりっくなら2人も乗ってくるに違いない。

「よし、行ってみよう。美玲、いいよね?」

「はいっ!」3人は引き返すように、列に並んだ。15分後、3人の大臣はそのレベルの高さに衝撃を受ける事になる。

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「日本A代表 杜 圭吾が、古巣・西湘ベルマーレで治療・リハビリへ」

ベルマーレ広報担当者は、サンジェルマン所属の杜圭吾を受け入れ、治療・リハビリに当たると報じた。杜の買取価格が高騰している為、再契約は難しいが、将来のコーチ・監督としての受入れを視野に入れていると思われる。同チームに在籍中の兄、杜 火垂選手との練習試合でのマッチアップも計画している」

圭吾から連絡を貰ってクラブ側に相談したが、結局は客寄せパンダに使われるのが分かって興ざめとなる。経営者が変わり、色々な環境が以前とは異なる環境となってしまった。
やはり自分に合ったチームを探さなければ行けないと、移籍前提で考えるようになった。

ボストンで治療している歩は、南米のチームが面白いかもしれないと言ってくるようになった。自ら交渉役となって南米中のチームに出向いてゆくという。圭吾と海斗の契約交渉の方が実入りがデカイだろうが。
さすがに南米チームへの移籍は考えた事すらなかったが、単身で渡って、サッカーに没頭するのもいいかもしれないと考えるようになったのも、家族がベネズエラに居るからだ。
火垂は、キャンプ地の沖縄読谷村の宿泊施設で、朧月を見ながらそんな事を考えていた。

翌朝、朝のトレーニング前にランニングに出る。今年の仕上がり具合は例年になく良かった。圭吾が監修してあゆみが作ったAIトレーニングメニューに即して、年末から取り組んだ。
勿論、クラブチームでも毎月のチーム検診の結果を取り込んで、各人向けの食生活やトレーニングメニューなどが用意されているのだが、内容もレベルも明らかにAIのメニュー方が自分に向いていると実感していた。クラブ側のメニューをこなすフリをしながら、AIメニューに取り組み続けている。
兄弟によって作られたAIは極めて秀逸で、まるで圭吾がトレーナーとして傍に居るような錯覚に陥ったのは、一度や二度のことではない。埼玉のチームに移籍した海斗も、このAIトレーニングメニューを使っていて「弟に常時見られている」という錯覚が、刺激になっただけなのかもしれないと笑いあっている。海斗のコンディションもとても良いらしい。

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腸腰筋、臀部、膝周りと今まで稼働域に達していなかった筋肉を、歩は鍛え始めた。長年に渡る変則的な歩行により変形したまま成長をしていたのだろう、使っていなかった部位がプルプルと震える。就寝前まで右足のマッサージを続けて、翌日、筋肉痛や凝りとならないようにしていた。
長時間は無理としても、病院内をゆっくりと歩行するまで回復してきた。

病室を出て、隣接する宿舎に移ると、そこからリハビリセンターに通う日々へと転じた。今までにない回復状況に希望を感じ始めていた。「治るかもしれない」「ボールを蹴れるかもしれない」という期待と、気分の高揚を実感していた。

歩は数年前から兄弟達と相談していた話を進めようと考えるようになった。「いつの日か、みんなでクラブチームの共同オーナーになろう」と相談していた。サッカー選手引退後の働き口、受け皿作りとして、いいアイディアだろうと考えた。選手生命を早々と逸した歩が先行して経営に携わり、3人の兄弟サッカー選手から集った融資でクラブチームを買収する。3人が引退するまでに歩が一角の組織に変革し、最終的には4人でクラブの経営やコーチ、監督として関与するという発想だった。

治療中の歩は、外交官をこのまま引退して、サッカーに携わる仕事を今から始めようと考えるようになった。それもベネズエラに両親と祖母が居るからだ。圭吾の移籍金の桁が上がって、手持ち資金が潤沢という面もあり、まずはクラブチームのオーナーになってしまおうと思うようになった。それも日本ではなく、南米諸国連合の中でも強豪のアルゼンチンかコロンビアのチームにしようと考えた。若い良い選手を発掘し、育てて欧州リーグへステップアップしてゆく。そんなクラブ経営を手掛けて見たかった。選手や監督にも大いに関与する、そんな我儘な経営をやるのだ。あわよくば火垂を選手として契約して、アルゼンチンの才能豊かな選手と組合せる事で火垂を再起させてしまう、そんなチームを。

歩はアルゼンチンとコロンビアのクラブチームを調べ始めていた。

(つづく)

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