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「50」 ~琉球ゴールデンキングスの歴史②2008-2009~

どうもTaiyoです。

琉球ゴールデンキングスの歴史を振り返る今回は2008-09シーズンです

bjリーグ初優勝の年です。このシーズンは特別で、いま思い出しても涙が…

私の拙い言葉でどんなシーズンだったかを語るより、やっぱり木村社長の本を読んで下さい。

今回は特に私の記憶に残る人物を中心に、初優勝のシーズンを語っていきます。

レギュラーシーズン戦績

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41勝11敗 勝率.788

レギュラーシーズン全体1位

プレイオフ戦績

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初のホームプレイオフ開催。そして初の有明で当時3連覇中の大阪エヴェッサをセミファイナルで破り翌日のファイナルも勝利して初優勝。

Number 50

ジェフ・ニュートン。背番号50。bjリーグセミファイナル大阪戦にシーズン最多50得点。第4Q最大17点差を跳ね返して大逆転勝利。

それがキングスに、そして沖縄にとってプロスポーツでの初優勝をもたらしました。

まさに奇跡。

ジェフニュートンは前シーズンまで大阪エヴェッサの主力でした。そんな有力選手を設立2年目のチームが獲得するという大胆な戦力補強。

そしてこのシーズンのキングスは経営面でも大改革を実行していました。

つまりオンコート、オフコートどちらにも大きな投資をしていました。結果が伴わなければクラブは存続の危機に陥っていたでしょう。

それが2年目での初優勝、しかも前年度チャンピオンを劇的な勝利で倒しての優勝。マンガかよ。

今の琉球ゴールデンキングスが有るのは、2009年のNumber 50がいたから。それは間違いありません。

マック

Number 50がもたらしたもう一つの奇跡。アンソニーマクヘンリー

マックはその万能性でどのチームに対してもキングスに優位性を与えてくれました。ヘルプディフェンス、ボールプッシュ、フロアバランス、必要ならば得点も。

必要な時に必要な事を的確にやってくれる選手。

決して派手なプレイヤーではないこの選手。

その後2016-17シーズンまで通算9年間キングスの基礎となってくれます。

桶谷大HC

2020-21シーズンも仙台で指揮を執る桶谷大HC。2008-09のキングスHCでした。彼がもたらしたバスケットボールはその後のキングスの礎となりました。

ディフェンス

奇をてらう事なく基本に忠実な守備。ディフェンスリバウンドを確実にマイボールにする。一つずつ一つずつ。キングスの礎です。

オフェンスは、ジェフをトップオブザキーに据えてハイローを中心に展開。ジェフの俊敏性を活かして相手外国籍ビックマンをファウルトラブルに陥れるのがキングスの勝ちパターン。

キングス=速い展開、みたいな印象を持ちがちですが、私の印象はオーソドックスなインサイド中心のオフェンスでした。ただし相手のターンオーバーからのファストブレイクをきっかけに一気に流れを掴むのは上手かったので(会場の雰囲気も一気に変わる)「速い」という印象が強くなるのかもしれません。

逆にゾーンディフェンスへの対応は苦手で、負けパターンは大抵ゾーンからリズムを失っていきました。

金城茂之

凄かった。スリーポイント、インサイドへのカットイン、見ていて楽しかった。

琉球サムライ、と呼ばれた金髪ちょんまげの見た目も「プロ」だった。

この年MIPを受賞する金城、その後の彼の困難も含めてファンから「しーげー」と呼ばれ最も愛される選手となりました。

澤岻直人

天才肌の背番号1。

脱力した状態からショルダーフェイクを入れ、独特なリズムの『魅せる』プレイをする選手でした。カッコよかった。キングスの生い立ちは彼とともにあったと言えます。

白鳥

スワン大谷こと大谷明正さん。ホームゲームに行くとこの人を見ているのが楽しかった。バスケを観るって、肩ひじ張らず「楽しむ」ってだけでOK。そんな琉球ゴールデンキングスのアリーナの雰囲気を作ってくれました。

おまけ

青木康平はファイナルでもガンガン得点してたなー。


いかがでしょうか。

初優勝、というより沖縄という土地において「日本一」という称号は本当に大きなものでした。今考えてもあの頃は沖縄における時代の節目だったような気がします。

この初優勝のシーズンはクラブ経営としても大改革の年でした。次回は2008-09シーズンの経営面を振り返ります。


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