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沖縄にプロバスケを! ~琉球ゴールデンキングスの歴史①2006-2008~


どうもTaiyoです。もっとnote更新したい内容が山ほどあるのに自分のアウトプット下手に四苦八苦しています。

ちょっと頭を整理するために、琉球ゴールデンキングスの歴史を振り返ってみようと思います。1記事1シーズンで。好評なら頑張って更新頻度上げていきます(笑)

この記事を書いているのは2020年ですが、ただ戦績を並べてもあまり面白くないので(そっちはWikipedia見てね)、私の記憶を掘り起こしながら私自身の視点で振り返ります。

その頃を知っている方は懐かしみながら、その頃を知らない人はそんな事もあったんだぁと興味を持ってくれたら嬉しいです。

今回はクラブ設立が始まった2006年から、bjリーグ参入初年度となる2007-08シーズンを振り返ります

クラブ公式webサイトにあるキングスの歴史と一緒に読んでみて下さい。


「沖縄にプロバスケを!」

2006年、木村達郎氏、大塚泰造氏、富永健作氏が中心となり沖縄県からbjリーグへの新規参入を目指します。それが「沖縄にプロバスケを!」事務局です。

キングス設立時のエピソードは、現キングス社長である木村達郎氏の書籍「琉球ゴールデンキングスの奇跡(2009年発行)」に詳しくあります。読み物としても非常に面白く、今日までキングスの理念が一貫している事が実感できます。Kindle版もあるので中々外出できないこの時期におすすめです。

琉球ゴールデンキングスにその誕生母体となるバスケットボールチームは存在しませんでした。

アマチュアチームがプロに、ではなく最初から『プロ』チームとして動き始めました

木村氏、大塚氏は沖縄県出身ではありません。沖縄でいうところの「ナイチャー」です。そんな二人が何故縁のない沖縄で新チームを立ち上げたのか。

その理由こそが『プロ』チームを立ち上げたいから、だったのです

私には強い直感があった。その源を辿るならば、ひとつは沖縄出身のバスケットボーラーの魅力あるプレーだった。
<中略>
プレースタイルそのものに、沖縄にはプロバスケットの可能性が潜んでいるのだ。そして、沖縄に対して愛着をもっている地域の人々が熱く応援してくれるならば、絶対に面白いことになる、と考えていた。

「琉球ゴールデンキングスの奇跡」より

木村氏は『プロ』つまり『魅せる』という視点で沖縄のポテンシャルに惹かれ、そしてそこに住む人々の地元を愛する強さに市場価値を見出したのです

その後大塚氏とデータに基づく綿密なリサーチを重ねて、沖縄に新チームを立ち上げる決断をします。

私はこのエピソードが大好きです。

青い海、白い砂浜、というステレオタイプの沖縄のイメージで本拠地を決めたのではなく、沖縄バスケットボールが積み重ねてきた歴史の上にキングスが生まれたのだ、という点が。

SNS無き時代の「バズり」戦略

琉球ゴールデンキングスというチームが出来る前、その運営会社である沖縄バスケットボール株式会社の前身の団体が「沖縄にプロバスケを!」事務局です。当時はbjリーグなんて相当のバスケ好きしか知らない、もちろん沖縄でプロスポーツがやれるなんて誰も考えなかった時代です。

彼らはまず沖縄の中に「プロスポーツが欲しいという雰囲気」を作る必要がありました。今でいうところの「バズり」が必要でした。

SNSどころかスマホも無い時代、彼らはどうやってその雰囲気を作り上げたのでしょうか。

大塚氏の書籍「メディアをつくって社会をデザインする仕事:プロジェクトの種を求めて」にその答えがありました。

そしてそれはまさしくSNSが無い時代の「バズり」戦略でした

たとえばキングス設立のときでいうと、いきなり若造が東京から沖縄に乗り込んで「チームを作りたい」っていいだしても、ふつうは地元のお偉方にはまったく相手にされません。そもそも沖縄の人は、当時だれもbjリーグなんて知らなかったわけですし......。ただその一方で、データ的にはバスケ好きが大勢そこにいるのはわかっていた。なので、「沖縄ではみながチームを欲しがっている」ことにしてしまおう、とぼくらは考えたんです

それで、那覇をはじめとするさまざまな町中にポスターを貼りまくりました。背景は真っ青で、そこには「沖縄にプロバスケを!」と書いてあって、原寸大のボールの画像がある。ポスターの一番下には「このポスターの前で写真を撮って送るとプロバスケ観戦ツアーがあたります」とも書いてある。すると、みんな写真を送ってきてくれるんですね。その集まった写真をならべると、まるで沖縄県民みんながプロバスケのチームを欲しがっているかのようにみえるんです
その写真群は、地元のメディアや経済界へのアピールに使いました。こういうのって、よくあるパターンは署名活動をして、多くの人が求める要望としてその成果を行政へ提出したりしますよね。でも結局、それだとせいぜいちっちゃく新聞に載るだけで終わるんですよ。それは、何もビジュアライズされていないからです。逆にいえば、署名活動を視覚化できると、メディアにも取りあげられやすい。署名で名前だけが連ねてあるよりも、個々の具体的な「顔」がたくさん表象されるかたちになるので、地元で盛りあがっていることが伝わりやすいんです。

「メディアをつくって社会をデザインする仕事:プロジェクトの種を求めて」より

当時、私は地元である沖縄を離れ内地で生活していました。私もbjリーグ初年度の決勝戦を有明コロシアムに観に行った物好きでしたので、この「沖縄にプロバスケを!」のポスターをmixi(ミクシィ、と読むんですよ)で知っていました。

そのポスターを自分達の活動を知ってもらう為だけではなく、自分達の活動に根拠がある事を創り上げるためにも活用していた。ちょっと常人には思いつかないアイデアです… 熱意だけではなく、データよる裏付けとビジュアルに訴えるマーケティング戦略。ヤバいっす。

幻のチーム 沖縄アイランダーズと沖縄ティーダーズ

ちょっと小ネタ。沖縄の新チームはbj参入決定後にチーム名を公募しました。私、これも当時mixi(ミクシィ…)で知りました。

候補は3つ

沖縄アイランダーズ

琉球キングス

沖縄ティーダーズ

結果は皆さんご存じの通りです。名称に「ゴールデン」が追加されたのは商標登録上の問題があったからでしたが今となっては結果オーライでしたね。

私は「キングス一択」と当時も思ったのですが、理由は「キング」より「琉球」でした。沖縄で愛されるなら「琉球」しかないと直感です。残り2つは只の当て馬だと今でも思っています。

今でこそ少なくなりましたが試合中継でキングスの事を「沖縄」と呼ぶ解説者の言う事は信用しないと決めています(笑)

存在しないオールスターゲームを沖縄で開催する

bj参入直前の2007年1月27日、沖縄バスケットボール株式会社はbjオールスターゲームを宜野湾市民体育館で開催させます。

当時bjリーグにはオールスターゲームが存在せず、そして沖縄にもキングスというチーム自体はまだ存在しませんでした。

つまり、オールスターゲームという一大イベントをテストマーケティングマッチとして自分たちが創っちゃったわけです

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当時の貴重な写真です。キングス初年度からの応援ブログ「Kings Hysteria」さばにさんからご提供いただきました。

沖縄県出身のスター選手だった富山グラウジーズの呉屋貴教が大きく取り上げられていた事を覚えています。

写真で見ても満員大入りなのが分かりますし、何より当時から1階仮設席の設営やコート周辺の広告ボード等の会場設営がしっかり行われていて、今のキングスの会場雰囲気とほぼ変わらない事にびっくりです。

チームがスタートする前に「こんな事をやるんですよ」とテストマッチを開催する事によって沖縄県内の地銀である琉球銀行からの出資が決まったらしいですから、開催した意義は大きかったわけです。

負け続けたチーム

初年度となるbj 2007-08シーズン、実は私キングスの試合を観戦した事はありません。ただ新聞やローカルニュースで「負け続けている」という事は知っていました。

当時の沖縄ローカルキャスターのブログに初年度の記事がありましたのでご紹介します。

うぉ!ケビン・スティンバージ懐かしい!ほぼ7フッターなのに身軽な感じが好きだったなー。ヘルナンド・プラネルズが初代HCでした。

当時の看板選手が澤岻直人でした。沖縄バスケ界の有名選手でコザ中学校時代から地元新聞に名前が載る程のスターでした。

初年度は「キングス観に行こう」という人より「澤岻がプレイするなら見に行こう」という人が多かったのではないでしょうか

初年度は10勝34敗の最下位に終わるわけですが、1試合平均観客数は1,679人。以前noteで紹介したように招待券をばら撒くような事はありませんでした。確か「チケットを2枚買うと3人目は無料」というキャンペーンをやっていた記憶があります。

2020年現在から振り返ると、この初年度を除けば2008-09  ~2019-20 の12シーズンの通算成績は452勝183敗。勝率.711で「勝ち続けているチーム」という印象なのですが、木村社長は事あるごとに「負け続けた」話をします

おそらく自分達の戒めとして「負け続けた」事を忘れないよう、何より「チャレンジャー」という立場を自分達クラブのカラーにしておきたいのだと思います。「勝つ」より大事な事があるのだと。


いかがでしたでしょうか。もう15年近く前の話なんですねぇ。

次回も昔の記憶を思い出しながら、残っている情報をかき集めてnoteにまとめていきますので楽しんでもらえたら嬉しいです。

おまけ

三好ジェームス!

(追記) 2008-09シーズン チケット価格その他

bj時代の公式サイト okinawa-basketball.jp はすでに削除されていますので webアーカイブから引用です。

チケット価格

1階指定席 コートサイドS ¥4,500
1階指定席 コートサイドA ¥4,000
1階指定席 ビジターシート ¥4,500
1階自由席 ¥3,000
2階自由席 ¥2,000
2階自由こども(小・中学生) ¥1,000

シーズンチケットパック

コートサイドシーズンシート
サタデーパック
サンデーパック
キングスパスポート
バトル・オブ 那覇パック
(各チケットの価格・詳細は確認出来ませんでした)

チケット購入方法

インターネットでのご購入
・チケットぴあ
・ローソンチケット
電話でのご購入
・チケットぴあ
・ローソンチケット
店頭でのご購入
・チケットぴあ
ファミリーマート各店/照屋楽器店/高良レコード/リウボウ「パレットくもじ8F」
・ローソンチケット
ローソン各店
・沖縄県内バスケットボールショップ
STEP BY STEP/HI-FIVE/BCスポーツ/フォーラム/ランクアップ
・その他取り扱い店舗
HOT沖縄/TSUTAYA小禄店/TSUTAYA新都心店/TSUTAYA首里店/コープあぷれ/嘉手納ITT/サンプラザ県庁店/さくらチケット(安里)/さくらトラベル(奥武山)/那覇市民体育館/MCCS TOURS PLUS

ゆいキャンペーン

ゆいキャンペーンとは、2人がチケットを購入し、「ゆいクーポン」を提示すると3人目が無料で入場できるというキャンペーンです。
「ゆい」とは、「結(ゆ)い」という意味を表す沖縄の方言「ゆいまーる」という言葉からきており、人と人の結びつきや助け合いを意味します。ゆいクーポンを使って、お友達・ご家族など気の合う仲間と一緒に試合会場に足を運んでください。

ブースタークラブ(ファンクラブ)

【ゴールドブースター】 10,000円
【キングブースター】  3,500円
【法人会員】 30,000円

コメント 2020-05-03 183230

琉球キングス オフィシャルパートナー

全25社(琉球銀行 / 琉球新報社 / 沖縄タイムス社 / 株式会社ユーグレナ等)


筆者Taiyo のふりかえり

観戦チケットの席種はコートサイド以外は全て自由席だったんですね。おそらく1階仮設席を設置管理するコストも厳しかったんでしょうね。なのでシーズンチケットもまだ試行錯誤していた感じですね。

チケット販売ルートがけっこう重要で、ぴあとローソンチケットはおそらくbjリーグ全体の統括プレイガイド。クラブ自身が販売管理しているチケットは地元のバスケショップ等の店頭販売のみだったはず。ほぼ全自由席みたいなものですからね。

ゆいキャンペーンは「3人目」無料というのがキングスらしいです。自分(1人目)、パートナー(2人目)までは基本リピーターなんですよね。「3人目」は「観戦した事の無い人」の可能性が高い。これに着目している事がその後のチケット戦略に影響してきます。

ファンクラブもごく一般的。応援「してもらう」観点だけだった感じがします。

オフィシャルパートナーは沖縄県内の大資本が入っていて設立初年度のチームとは思えない顔ぶれです。地元新聞2社がスポンサーに入ってくれたのはメディア戦略的にも大きかったはず。

スポーツビジネス観点でのキングスの歩み、初年度からどう変化していったかも今後のnoteで掘り下げていきます。

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