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京都支配の拠点として築いた「妙顕寺城跡」で、2024年8月21日に、城の遺構が発見さる。

まだ掘り出されていない謎。
以前から噂されてきた旧建物や城郭。
この我流に纏めた図録です。
京都新聞からピックアップ

2024.08.21京都新聞から

京都支配の拠点として築いた「妙顕寺城跡」で、
2024年8月21日に、城の遺構が発見さる。
以下の京都新城とは別物でしょう。
何しろ、時代が異なります。

コロナ蔓延し始めていたなか、
2020年に発見された京都新城は、
以前から噂されてきたのですが、

四年前に2020年の
「戦国・小和田チャンネル」で、
静岡大学名誉教授小和田哲夫氏も、
動画発信されてます。

この時点でも、
これから、まだまだ詳細は
掴めてくるだろうと、
先生は仰っています。


「戦国・小和田チャンネル」
2020年に発見された京都新城

秀吉の京都新城ではないか?これが!
🟢秀吉の「京都新城」遺構跡

京都新聞から。

2023.02.24


2020年の発見は、
秀吉の京都新城ではないか?
これが!
🟢秀吉の「京都新城」遺構跡
だとして、今尚も、解明が進んでます。


ここから
今回のマガジンのメインテーマ。

上記 2023.02.24から、
1年半後

↓↓↓

しかし、上記のように、

京都支配の拠点として築いた
「妙顕寺城跡」の池の跡で、
2024年8月21日に、
城の遺構が発見された。



🟪京都市歴史資料館
情報提供システム
フィールドミュージアム京都🟪


とよとみひでよし/みょうけんじじょうあと
豊臣秀吉/妙顕寺城跡

🟧 妙顕寺は、大阪にもありますし、
日本全国にありますから、
一つではありません。
しかし、秀吉が政治的に絡んだ拠点と
云えるのは、ここです。

サイトからの抜粋

↓↓

妙顕寺は,元享元(1321)年
日像(1269~1342)が開いた
京都における最初の日蓮宗寺院。

豊臣秀吉(1536~98)は,
天正11(1583)年、
大坂城造営に着手すると共に、
京都では妙顕寺を首都経営の拠点とした。

それに伴い寺院としての妙顕寺は,
北方の寺之内地区に移された。
天正14(1583)年,
聚楽第が造営されると
その拠点機能を失った。
この石標は妙顕寺城の跡を示すものである。

聚楽第跡

我の撮影
道の対面は、ハローワークです
通名は、中立売通。
千本中立売から東に進んだバス停あたり。
↓ ↓ ↓
侵入禁止のマークがある場所が
ハローワークです。
北向き一方通行です。

なお,この地を
古城町と呼ぶのは妙顕寺城に
因むものである。

所在地
中京区押小路通小川西入北側

位置座標
北緯35度00分43.3秒
東経135度45分13.2秒(世界測地系)

建立年
1970年

建立者
京都市

寸 法
高116×幅18×奥行18cm

碑 文

[南]

豊臣秀吉妙顕寺城跡

[西]

昭和四十五年三月 京都市

調 査
2002年2月5日


更に
【八本山を巡る】より、抜粋。

↓WEBでの説明

妙顕寺
(みょうけんじ)

秀吉の宿!?元祖二条城!?
鎌倉時代後期、元亨元年(1321)に
創建された京都における
日蓮宗最初の寺院です。


応仁の乱や宗派間の紛争(天文法難)により
たびたびの移転をしてきましたが、

戦国時代には
東西は西洞院から油小路、
南北は御池から二条にわたる
大規模な敷地をもち、


本能寺の変後は豊臣秀吉が
京都の宿所としていました。

これは妙覚寺を宿所にしていた
織田信長を意識したものと
考えられています。


🔷意識した、と言うより、
動きながら考える、、その力と、
女への「すけこまし力」は、
ずば抜けて高い。
秀吉と関係した女は300人以上
ひょっとして500人くらいか?
と、云われます。


反面、
知能指数が低い?、為に秀吉は、
何でも信長のやり方を真似ます。
人殺しのやり方まで。

自分が、信長の第一の後継者として、
皆に認識して貰いたかった証です。
これは、我の推測🔷


また豊臣秀吉は
妙顕寺に泊まるだけでなく
城へと改造し、
その城を二条城と呼び、
聚楽第築城まで拠点としていました。

🟠ここからは、我の文責。
上記の🔷から🔷も、我である。



↓↓↓
二条城は
日本に四か所。全て京都。

1)足利義昭の二条城=旧二条城
2)織田信長の二条城=二条御所
3)豊臣秀吉の二条城=妙顕寺城
4)徳川家康の二条城=現在の二条城

1)2)4)は、大河ドラマでも取り上げて、
何度も登場し、撮影もされているので、
皆様、ご存知と思うが、
3)だけは、未確認なんです。

と、云うより未発見だったわけです。

この3)が、今回、その跡が
発見された、という訳です。

実は、これ。
ビックニュース!なんです。

我も撮影してきたが、
画像が悪く、写真は他の
WEBサイトより拝借。

↑↑↑我の文面は、ここまで。


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