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「ぼっちとは?」対話カフェそもそも レポート#12

【開催日時】
2023年4月22日(土)
12:45~14:45
@池袋会場

第12回のテーマは「ぼっちとは?」です。

「ぼっち」、どんなイメージがありますか?

2022年には「ぼっち・ざ・ろっく!」というアニメがヒットしました。
近年、使われることが増えたワードです。

「孤独」に近いものの、
同じ意味としては使われていません。

ぼっちには、ぼっちとしか言えないニュアンスがあるようです。

あなたの思う「ぼっち」とは?

今回の対話のレポートをまとめました。

はじめの問い

まずは、「ぼっち」という言葉について、疑問に思うこと、気になることを聞いてみました。

「ぼっちと孤独の違いってなんだろう?」

「カジュアルに、孤独を表現している印象」

「ぼっちが使われ始めるようになった経緯が気になります」

「使われるようになったのは、コロナ禍が関係しているのかな、と思いました」

「お一人様ブームもありましたものね。あれもコロナで注目を集めた印象」

「一人だけで行動することを、世間が認める範囲が増えて、多くのことが認められるようになった」

「宅配ピザで、一人用のピザとかも売られるようになりましたね」

「ぼっちって、煽り言葉として使われている印象がある」

コロナ禍との関わりに触れた印象が複数出ました。

「ぼっち」の印象は?

対話に本格的に入る前に、「ぼっち」の印象やイメージを、できるだけ多く挙げてもらいました。

「学食を一人で食べてる人」

「学生に使う言葉って言う印象が強い」

「確かに、高齢者に『ぼっち』とは使わないですね」

「50代のサラリーマンが一人で食事してても『ぼっち』とは言われない」

「自分の軸というか、自分が楽しめることをしっかりと持っている人」

「コロナ禍の前と後では少し印象が変わったように思う」

「皆さんに質問です。ネガティブな言葉か、ポジティブな言葉か、強いて言うならどちらですか?」

「ネガティブです」(全員)

「でも、一人でいることの良さもありますよね」

「ぼっちの人は、自分から好んでぼっちをしている人もいる」

「一人だけで楽しめる何か、例えば趣味とか、そういったものがあるのが『ぼっち』かな」

若者が若者を指して使う言葉であること。
ネガティブであること。
ぼっちであることを、それなりに楽しんでいること。
このあたりが特徴のようですね。

一人での行動を世間は認めるようになった?

はじめの問いからピックアップして、掘り下げてみます。

「まず思うのが、都会と田舎で大きく違う。都会は一人でいても変な目で見られない。田舎では、例えばイオンみたいなショッピングモールとかには一人で行きづらい」

「もし一人で行って、それを見られたら、○○さんが一人でイオンにいたよ、って話がすぐに広まりそう」

「海外に住んでいたとき、そこでは一人で外食するって文化がなかった。外食というのは『ファミリーやカップルで行くもの、一人では行かない』という文化の国で、一人では行きづらかった。だから東京に戻ってきたとき、なんて楽なんだ!と思った」

「東京は一人でいても、とくに浮いたりとか、ジロジロ見られるとかはないですよね」

「でもクリスマスの時期とかはちょっと」

「わかります」

「田舎って、複数人で行く前提のスポットばかりですよね。イオンとかもそうだし」

「東京だと、居酒屋で女性の一人呑みはできるけど、田舎では無理だなあ」

「お一人様が、開放的か、閉鎖的かってこともありますね」

「閉鎖的というのは、『話しかけるなよオーラ全開』
みたいなことですか?」

「そうです、一人でいたいんだから構わないで、って人もいる。話しかけられても大丈夫という人もいると思います」

「東京だと、一人でご飯食べてるときに話しかけられたら、まず警戒しますよね」

「逆に田舎の食堂だったら、近くの人から『今日天気いいね』って話しかけられてもそこまで警戒はしないなあ」

都会と田舎で、一人行動への視線が違う。
つまり、ぼっちへの視線が違う。

「お一人様」の印象は?

ぼっちと似たようなワードとして出てきた「お一人様」。
どんな印象やイメージがあるか、こちらも聞いてみました。

「気取ってる」

「企業が一人用サービスを売るために言い出したマーケティング用のワード」

「お一人様はポジティブ? ネガティブ?」

「ポジティブ」(全員)

「お一人様はポジティブになるの、おもしろいですね」

「一人でやるのことの特権みたいなのがあって、それを使ってるイメージ」

「特権とは、具体的にどんなことですか?」

「例えば、みんなで居酒屋へ行ったら、自分の好きなものだけ頼むわけにはいかない。みんなで食べられそうなポテトとか唐揚げとかを、気を使って注文しなきゃいけないですよね。一人だったら、そういうことを気にせず、自分の好きなものを自由に頼める」

「聞いていて気づいたんでが、その気持ちよさをドラマにしたのが『孤独のグルメ」ですね」

「あのドラマ、周りには複数人のお客がいるなか、おじさんが一人で好き放題に注文して楽しんでますものね」

「逆に、一人で中華料理とか行くと、いろいろな料理は食べられないから、ちょっと損した気にもなる」

「複数人で行くと、シェアできるメリットがありますものね」

お一人様はポジティブワードのようです。
一人での外食は、好き放題に注文できる快楽がある。『孤独のグルメ』は毎回それを満喫してますね。

ぼっちは、周りの視線とリンクしている?

ここまで、ぼっちを語ってきて、都会と田舎、周りの視線という要素が多く出てきました。
ぼっちを語るとき、ぼっちそのものではなく、周りからの視線も重要なのかも?

「田舎は何をするにしてもジロジロ見られがち」

「田舎と都会、どっちも暮らしましたけど、都会ではほんとに周りが見てこないですね」

「田舎でジロジロ見られないのは観光地くらいかな」

「女性の一人旅でもとくに視線が気になることはないですね」

昔は、女性が一人旅をしづらい時代もありました。

自称のぼっちと、他称のぼっちは違う?

「私、ぼっちなんだよね」
「あなたってぼっちだよね」
この二つでニュアンスは変わってくるのでしょうか?

「他称だとかなり煽り強めになる」

「バカにしている感じが出ますね」

「自称だと、自虐で言ってる感じがします」

「自虐なんだけど、ぼっちでいることを楽しんでいる、みたいなイメージもある」

「ぼっちって先回りして言うことで、そのジャンルについては相手に入ってこられないようにしているときもある」

「ぼっちでやってるんで、って言うことで、自分の好みを守るための予防線を貼るというか」

「例えば、『ぼっちで○○に行ってきた』って話すとき、『ぼっちで楽しみたいから一人で行ったんだよ、あなたを誘いたくなかったわけじゃないよ』ってアピールになる」

「え! そんなアピールが必要なんですか?」

「女性同士の人間関係だとあるんですよ」

「一人で行ってきた、って聞くと『なんで誘ってくれなかったんだろう』ってモヤモヤする人もいるんです」

女子の人間関係は大変ですね!
話題は、ぼっちを続けていくことのメリット・デメリットに移り……。

「ぼっちでいることに慣れすぎてしまうと、出会いの機会ど何を話していいかわからなくなる」

「やっぱり状況によって、どこまでぼっちでいられるかは変わってきますよね」

「性格的にぼっち向きの人もやっぱりいると思う」

「そういう人を無理にぼっちから引き剥がすのはどうなんだろう?」

この問いはまた後ほど取り上げます。

こんなとき、ぼっちは嫌だ!

話してきたなかで、ぼっちでいてもいいんじゃない?という流れが強くなってきました。
ではあえて、「さすがにこういうときにぼっちは嫌だな」という状況があるか、聞いてみました。

「ディズニーリゾート」

「うわ、ぼっちつらい」

「遊園地系はちょっとつらいですね」

「パーティーとか」

「あと同窓会も」

「同窓会のぼっちはつらい!」

「就活のぼっちも大変だと思います」

「私がまさにそうだったので、わかります」

「ディズニーとかパーティーの共通点は、周囲が複数人で楽しんでいる状況、って感じですかね?」

「ぼっち感が強調されちゃう」

「気づいたんですけど、クリスマスは街全体がそういう状況になるから、ぼっちにつらいのかも」

「なるほど!」

クリスマスは「みんなと楽しむイベント」ですものね……。

「勉強については、独学が良いときもあれば、仲間がいたほうが捗るときもある」

「大学のゼミとかは、まさに仲間と学び合うみたいな仕組みになっていますよね」

「仲間たちと頻繁に意見交換したり教えあったりすることで、理解が深まるし、頭に入りやすくなるって言いますね」

ここまで語ってきて……

「仲間のありがたさとか、助け合いのありがたさを痛感させられました。学生の時は「一人でも全然平気だし何なら楽」と思っていたけど、もう少し仲間とのつきあいを増やしてもよかったな、って」

「大学に入ってちょうどコロナ禍だったので、人に近づきづらく、新しい出会いも避けてたんです。でもそれって、コロナのせいにしていただけで、もしかしたら自分の勇気が足りなかっただけなのかも」

「今すごく疑問に思うのは、ぼっちじゃない状況が本当に良いことなのか?って。社会は「孤立を救おう」といったことをよく言っているけど、果たしてそれが本当に正しいことなのか、ちょっとわからなくなってきました」

「個人の孤立って、社会的に害悪というか、無くすべきものなんですかね?」

孤立は社会が救うべき?

「昔、ちょっとふさぎこんでいた時期に、友人が訪ねてきてくれて、自分を引っ張り出してくれた。とくに助けてほしいとか伝えてないのに、来てくれたんです。自分はそれで救われて、すごく助かった。ありがたかったです」

「自分から好んで孤立している人もいますよね」

「救いの手を『いらない』って払いのけちゃう人もいます」

「孤立を選ぶことも、個人の自由の範囲なんでしょうか? その自由は尊重されるべき?」

「でも、予防できるなら予防したいですよね」

「孤立は、客観的には良いことには見えないです」

「孤立に対してどこが対応しているかが分散していますよね。社会福祉協議会、児童相談所、役所、学校、警察とか……。ケースによっていろんな機関が対応する仕組みになっていて、横のつながりはあまりない」

「どこかが集権的にやるといいのかもしれないけど、きちんと情報が集約されてこないと意味がない」

「どこまで踏み込むかも、相当難しいですよね。その人の自由とのバランスをとらなくてはいけない」

このあたりで時間いっぱいとなりました。

第12回の板書

対話を振り返って……

最後に、今回の対話を振り返っていただき、簡単な感想をお聞きしました。

「言葉ひとつでも、これだけ意味が変遷していくとは思わなかった」

「今の自分は昔の自分と変わったんだな、と実感できました。おもしろかったです」

「最初の問いに戻ってしまうのですが、改めて、ぼっちと孤独の違いが気になります。新しい疑問が得られました」

ファシリテーターの思うこと

ぼっちを語り始めてみると、自分にとっては意外なワードが頻出しました。
「コロナ」そして「都会と田舎」です。

考えてみれば、ぼっちを語る上で、どちらも深く繋がっていることがわかります。

そして、「ぼっち」や「孤立」と私たちが向き合ったとき、どう振る舞えばよいのか?
社会はどこまで介入するべきか?
心に刺さるような問いに辿り着きます。

自分とぼっちとの向き合い方を揺さぶられる対話となりました。

参加してくださった皆様、ありがとうございました!

次回の開催案内

次回は2023年5月13日(土)開催。
テーマは「生きづらさとは?」です。
詳細や参加申し込みはこちら。

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