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「親ガチャとは?」対話カフェそもそも レポート#18

【開催日時】
2023年7月29日(土)
12:45~14:45
@池袋会場

第18回のテーマは「親ガチャとは?」です。

2021年の「ユーキャン 新語・流行語大賞」にて、トップテンに選ばれた『親ガチャ』。
出自はインターネットスラングと言われています。
この言葉を初めて目にしたとき、どのような思いを抱きましたか?

多くの人が共感する表現であり、また考えさせられる言葉だったからこそ、ここまで認知が広まったのだと思います。

ただ、広まるにつれて「けしからん言葉」とする声も見受けられました。

親ガチャという言葉に向き合ったとき、あなたの中にどんな問いが浮かびましたか?
なんだかモヤモヤした人は少なくないはず。

そんな「親ガチャ」について対話したレポートです。

はじめの問い

まずはテーマについて、抱いている問いを挙げていただきました。

「親ガチャという言葉がなぜ生まれたのか?」

「この言葉が世に出てきた背景は?」

「当たり・ハズレって何?」

「当たりの定義とは何か?」

「ここで言う当たりは『本当に』当たりなのか?」

これらの問いが挙がりました。

親ガチャという言葉は、ネットで検索するといくつか定義が分かれるようです。

例として……
・親や環境についてのガチャ
・毒親かどうかのガチャ
・虐待などがあるかどうかのガチャ

親や環境と捉えると、その他の要素は概ね包括されそうなので、今回の対話ではとりあえず
「親ガチャとは、親や生育環境を子が選べないことの例え」
として対話を進めてみます。

ではまず、ひとつめの問い。

親ガチャが生まれた背景は?

「SNSやインターネットの普及で、自分の置かれている環境と、他人の家庭を比較しやすくなった。その結果、自分の環境が当たりかハズレか、判断しやすくなった」

「同じく、ネットの普及で、恵まれている人
や社会的成功を収めている人が目につきやすくなった」

「昔に比べて虐待などが目立つようになり、よりネガティブなことに世間の関心が集まりやすくなった」

「ちょっと違う切り口ですが、どんなジャンルでも『短くて上手いこと言ってるワードは流行る』。ちょうどいい表現というか。例としては『老害』とか」

「毒親もそれに当てはまりますね」

「スマホの普及と並行して、ガチャ要素のあるソシャゲが流行ったから、『ガチャ』という言葉がより身近になっている」

「毒親という考え方が広まったのが2000年代で、その頃からだんだん『親を批判してもいい空気』ができてきた。その延長で、親ガチャという言葉が出てきた」

「昔は根性論みたいなことが当たり前だったけれど、今は廃れてきている。やりたいことがあるのにできない、お金がないなどの原因を、自分じゃなくて他者に求める傾向があると思います」

「昔は『がんばったら報われる社会』と信じられていたかもしれないけど、今はそうでもない。がんばったらそのぶん得られると思っている若い人は少ないと思う」

「終身雇用が減って、仕事をがんばったとしても生活が安定する保証がない社会だとは思います」

「仕事を頑張りたくないと言うわけではないけど、同世代で『出世したい』と言っている人は聞いたことがない。出世とか、そういう方向での社会的成功をそもそも求めてないというか……」

「『○○できない』『○○がない』ことは、個人のせいではないんだ、というマインドが広まっているのでしょうか」

「親ガチャの背景を突き詰めていくと、ひとつは『社会問題』になると思います。例えば、大学に行きたいけど実家は貧困で学費が払えず、公的な支援も薄いから大学を諦めなければいけない、そんな社会」

「思っていた収入や、想定していた生活が得られなくて、それに対する社会からの支援が手薄なので、自分のせいじゃない、自分だけではどうにもできないと思ってしまう」

「そうなると、親ガチャの当たりハズレって、ひとつは格差ってことになりそうですね」

「格差を埋めてくれない社会の問題が、親ガチャを生んだのかも?」

「ちょっと違う視点からなのですが、自己責任論がすごく強かった時期があると感じていて。自己責任があまりに強くなりすぎて、みんな息苦しさを感じてしまって、それで他者責任論が増えてにたのかも?」

「SNSの普及で、批判体質は強くなったように思います。すぐ人の揚げ足を取るというか。他人を責める傾向は強くなったなと思います。

ここまでの話を整理してみます。
背景てしては、大きく分けて4つの要素が挙げられました。

1. ネットやSNSの普及による他者比較のしやすさ
2. 親を批判しても良いという価値観の変化
3. 他者に責任を求める意識の増加
4. 格差を解消してくれない社会の問題

途中で出てきた、「○○ができない、○○がない」は、「生きづらさ」という言葉に置き換えてもよさそうです。

では、この生きづらさは誰のせいなのでしょうか?

「生きづらさ」は自分のせい? 他者のせい?

もちろん、ケースバイケースということは大前提として、あえて問いを立ててみます。

「親ガチャという考え方を突き詰めていくと、親ガチャハズレの場合、すべて親のせいとも言えてしまう」

「自分と他者、両方あると思います。ただSNSなどのせいで、『自分はハズレだ』と認識しやすくなってしまった」

「ネットのない昔だったら、ハズレだと気づかずに済んだパターンもあるはず」

「ネットがあるから、親元で暮らしていてまだ自立できない若い世代でも『自分はハズレ』と気付いてしまう」

「そもそも未成年なら、自分ではどうにもできないことが多いので、『他者のせい』と思うことは多い」

親ガチャのメリット、デメリット

「親ガチャという言葉が広まることで、自分だけじゃないんだ、同じような仲間がいるんだと思えることは良いことだと思います」

「似た境遇の人がいると思えたら、いくらか気持ちは楽になりますものね」

「デメリットとしては、親ガチャの考え方に囚われすぎてしまうと苦しくなる」

「他者責任を信じすぎると、自分で自分の枠を狭く見積もってしまって、可能性を潰してしまうリスクがあると思います」

「他者責任にすると、一時的に楽にはなる。だけど、ずっと他者責任でいては何も変わらないんですよね」

親ガチャの「当たり・ハズレ」って何?

「貧困の場合は、制限ありきの生活になりやすい。あらゆる機会が人より少なくなってしまう。それはハズレだと思います」

「そもそもですけど『自分、親ガチャ当たりだわ』と口にする人はほとんどいなさそう。親ガチャを口にするときはたいていが『ハズレ』のはず」

「毒親の家庭はハズレだと思います」

「他者と比較して、自分の生活に不便を感じたら、それはハズレ」

「親がいない人は『親ガチャハズレ』って言ったりするのでしょうか」

「どうなんでしょう……?」

「例えば児童養護施設では、生活に関する制限がとても多い。結果的に経験の機会が減るので、その点の息苦しさはあるはず」

「考えていくと、どこの家庭であろうとも、ハズレになりえるな、と。当たりの家庭でも、視点を変えたらどうとでもハズレと言える」

「実質、親ガチャには当たりはないのかも」

「生育環境だけでなく、親の子育て方針によるかも?」

「門限が厳しいとか、やりたくない習い事をやらされてるとか」

「反抗期の延長で、カジュアルに『親ガチャ』と口にしているケースもあると思うんです」

「ありそうですね。門限を厳しいと感じた子が、『親ガチャハズレだわ〜』とか言ってそうです」

「そもそも、親ガチャという言葉を実際に口にするのは10代が多いのでは?」

「確かに、社会人になってから、『親ガチャが〜』って言うのは少し想像しづらい」

「ここまで聞いてきて思ったのですが、『10代がカジュアルに口にする親ガチャ』と、『社会問題としての親ガチャ』は、切り分けて考えるべきですね」

「確かに。同じ言葉だけど、文脈が全然違う」

「『親から子への無償の愛』という表現はありますが、私はそれは必ずあるとは限らないと思っているんです。その代わり、『子から親への無償の愛』は、みんな抱いている。虐待などで客観的にハズレの親がいたとしても、子どもは親のことがやっぱり好きだから、当たりと思い込んでいるケースもあると思います」

「こうなってくると、親ガチャの『完璧な当たり』は存在しなさそうですね……」

時間が少なくなってきたので、別の問いを立てました。
これも、ケースバイケースだということは前提での問いです。

ハズレは挽回できる?

「他者責任を突き詰めると、『できない』ってことになってしまいますよね。でも、それはなんだかひっかかるんです。挽回できている人も実際にいるはず。どうやって挽回していけばいいんでしょうか」

「できる範囲で、やれることをやる……それが挽回につながっていくんだと思います」

「他者責任のこと、例えば親のこととかも、自分の動き次第で改善できることもあると思います」

「親と距離を置くとか、シェルターに逃げるとか、ですね」

「挽回はできると思います。経験を経て、認識がかわったり、解釈が変わったり、親の意図が理解できるようになったりすれば」

「今こうやって大人になってみると、門限を全く気にしない親のほうがハズレだと思ってしまいます。子どもに全く目を向けてないのと同じだから」

「挽回には、知識と経験が必要。社会人になると親ガチャを口にしなくなるのは、知識と経験が増えて、親の何が悪かったのかを理解するからだと思います」

「カジュアルに口にする親ガチャって、親の何が悪いのか具体的にわからないときに使うふわっとした表現だから、大人になると使わなくなるのも当然かな、と」

「親への不満が漠然としている10代にとっては便利なワードなんですね」

「成長の過程で、『親のせい』から『社会のせい』に移行していくケースもありそうですね」

このあたりで時間いっぱいとなりました。

ファシリテーターの思うこと

親ガチャという言葉を聞くと、いつもなんだかモヤモヤしていました。

対話を通して気づけたのは、親ガチャを語るとき、そこに至る文脈で話が全く違ってくること。

門限を不満に思う子が口にする親ガチャ。

貧困のせいで選択肢を奪われた子が語る親ガチャ。

虐待を受けた子がつぶやく親ガチャ。

これらに限らず、様々なケースがありえます。
「親ガチャ」という言葉を語るとき、ズレが起きやすいのも当然です。

これらをひとまとめに「親ガチャ」として括ることが、モヤモヤの正体だったのかもしれません。

そして、様々なハズレから、個人はどう生きていくのか。
社会はどういった支援ができるのか。

もう少し、考えてみたいテーマです。

参加してくださった皆様、ありがとうございました。

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次回は2023年8月5日(土)開催。
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