見出し画像

大学に行くということ

高校2年生の時、高校卒業後に何をするかを考えたとき、目標がなくわからなかった。

なぜか中学の時に見た映画『ディープインパクト』、『アルマゲドン』を思い出して、地球を救うべく”宇宙飛行士”を目指したくなった。

「地球を助けるには宇宙飛行士にならなくちゃ!」

そう思って進路を考えたら、東大が出てきた。高校の担任に東大を目指すと言ったら、「灯台?どうぞ」とのこと。成績もないし、無理でしょうという意味のよう。確かにできなかった。

でも行きたかった鳥人間で有名な航空宇宙工学学科に進学ができた。わすれもしない、その大学の入試は高校の卒業式だった。卒業式でもらった花を片手に試験会場に向かって、面接を受けた。面接では数学の問題の解き方を説明するもの。
できなかったので正直に
「わからないので、家に帰って調べます」と回答。
うれしいことに合格をもらえた。合格が分かってから家族でキャンパスまで見に行った。それくらい家族全員で喜んだ。

大学入学式もウキウキして行った。
憧れのキャンパスライフを思い描いて大学に進学。当時は往復3時間、平日夜は課題やサークル、アルバイト、週末は飲食店でアルバイトの生活。

そんな中、たまたま出願していた台湾の大学からの合格通知を受けた。私の母は台湾人で、父は日本人。母の、一度は台湾の大学で勉強してほしいという一言で、高校三年生、受験期に日本と台湾の大学に併願していた。

台湾の大学は9月進学で、合否はたしか6,7月に発表された。そのときは、ちょうど日本の大学の”微積分”の単位を落としそうになった時。特に何も考えず、休学を申請し、台湾の大学に9月から行くことにした。周りの同級生が、どうしてどうしてと聞いてきたけど、「特段理由はなく、母が決めたから」と答えた。

あっという間に9月、台湾で大学生になった。台湾の大学には入学式がなかった。その代わりに、新入生に対するプログラムが多かった。ただ意味が分からなかったから参加できなかったり、参加しても意味が全く分からなかった。そして台湾の大学生活、キャンパスライフのイメージに変化が起きた。

日本では今まで自分の生活サイクルに疑問を持たなかった。でも台湾の大学に行って驚いた。生活サイクルを考える余地なんて全くなかった。とにかく学習をしないと、予習復習をして課題をしないとついていけなかったし、単位を落としそうになった。それが本当に衝撃だった。

今まで、単位を落とすことに危機感がなかった。日本では単位を落としても次とればいいって、先輩から聞いていたし、周りがそのような感じの人が多く、当たり前だと思っていたので、それが大変だとか思ったことがなかった。

でも台湾では違った。

来年に単位を取ることを伸ばしたとしても、私はその単位を取れる自信がなかった。そして頭の中が真っ白になった。

ここまで焦っていたのは、単位がとれないと、退学の可能性があるから。実はこのとき、台湾の大学のキャンパスのすばらしさ、学生の素朴さに感動し、台湾の大学で大学生になりたいという気持ちが強く、日本にいる父にお願いして日本の大学の退学の手続きをとってもらっていたため、日本に戻る場合、大学を再受験しなければならなかった。

大学の授業は難しかった。これが大学かと考え直した。授業が中国語で進み、英語の教科書を使って、課題はどんどん出てくる。たった3単位の授業(週に1回3限の授業)でも、授業後の宿題や次の予習を終わらせるために授業受講時間の2、3倍の準備が必要だった。そんな科目が週に5,6科目あり、どう考えても1日24時間では足りなく、24時間利用できる図書館、自習室に通い詰めた。

物理の先生からは、

「君たち一人一人の席は台湾人の税金が使われている。学ばなければほかの人に譲りなさい。」

と言われたり、英語の単位が取れず履修したとき

「こんなレベルで台湾大学の大学生とよく言えるね」

と助教授から言われたり、微積分の先生からは

「君は絶対今学期単位取れないなら履修しなくていいよ」

と言われて、質問したくて並んでいたら、同じく並んでいたクラスメートから

「そんな簡単な質問のために並んでいるの?大学来なくていいんじゃない?」

と言われた。

その通りだと思った。

私は大学を理解していなかったと衝撃をうけた。

それが、私の大学生活の現実だった。

台湾留学JP
台湾留学JPは、台湾専門の留学サポートを行っています。高校生を中心に、台湾の大学・大学院への進学をサポート、高校生向けの中国語塾を開催。
URL:https://www.taiwanryugaku.jp/
住所:東京都新宿区新宿2丁目3-13 3階
mail:taiwanryugakujp@gmail.com
TEL:03-3356-1161


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?