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『昔は尖ってた』 『歳を重ね丸くなった』の本当の意味とは?🤔

『俺は昔は尖ってた』『最近は丸くなった』

と言う、上司や先輩いませんか?

そして、その言葉にどう反応していいかわからず、リアクションに困る🙄

一度はこんな経験もあると思います。

そこで今回は、

『尖っていた』『丸くなった』と言う言葉の裏の意味が隠されているのか?歳を重ねて『丸くなること』は果たしていいことなのか?について、考えていきましょう。

目次

1 『尖っていた』『丸くなった』に隠された意味とは?

2 丸くなることが良いことなのか?

3 尖っている所はあなたの大切な個性かも?

4 おまりに

「尖っていた」「丸くなった」に隠された意味とは?

まずは以下の図をご覧ください。

学生時代と社会人において関わる人物やコミュニティを表しています。

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いかがでしょうか?

ご覧のように、若い頃(主に学生時代)では、好きな友達やグループなど、居心地の良いコミュニティの中で活動することが多かったと思います。

気の合う友達というのは大抵自分と似ている、いわゆる似た者同士の集まりのようなもので、似た者が集まれば集まるほど、その人格や性格を否定する人も少なくなるのでどんどん尖っていく、というのはなんとなく想像できますよね。

そういった意味で、良くも悪くも学生時代は尖るものなのです。

しかし一方で、社会人となるとそういうわけにはいきません。

一般的な職場には、部長・課長などの「上司」がいて、先輩や後輩・同期などの「同僚」が存在しています。

人間の人格や性格いうのは十人十色で、その中には、自分と気の合う人もいれば気の合わない人もいますよね!

似た者同士の集まりだった学生時代とは違い、仕事の関係上、自分と気の合わない人とも付き合っていかなければなりません。

すると、そのような上下関係の中で、必ず自分の性格や考え方の否定する人が現れます。

人は否定されると、その環境で居心地の良さを求めるため、否定された部分を修正しようとします。

否定される部分は大抵その人が尖ってい(た)部分な可能性が高いですから、その尖りの角がどんどん削れて(修正して)丸くなっていくというわけです。

つまり・「学生時代」→似た者同士集まり→否定されない→尖っていく、「社会人」→様々な性格の人と付き合わなければならない→否定される→丸くなる、というわけですね!

これが、社会にどっぷり浸った上司や先輩の言う「昔は尖っていた」けど「今は丸くなった」に隠された本当の意味です。

丸くなることが良いことなのか

とはいえ、果たして丸くなることがいいことなのか、、、

僕は疑問に思います。

日本はもともと相手を思いやる文化あり、ゆえに言いたいことも言えなかったり過度な遠慮してしまうことが多々ある。poison

しかしその結果、「周りと足並みを揃えよう」「一人だけ違うことをしていると仲間外れにされる」ということが、皆さんの潜在意識の刷り込まれてしまっていると思います。日本では特に周りと合わせる意識やその傾向が強いと感じます。

尖っている所はあなたの大切な個性かも

しかし、魅力的な人は、成功する人は、歳をとっても尖り続けている人のような気がします。

必ずしも、「尖っている」から「成功」わけではないと思いますが、少なくともあなたのが尖っていたけど丸くなってしまったという部分は実は、「個性的で魅力的なところだった」「ビジネスにおいて成功する要因やスキルだった」というケースも少なくないと思います。

そして、もしこのように自分の大切な個性を潰してしまったり、封じ込めてしまっているとしたら、それは本当に勿体ないことだと思います。

もし、職場の上司や先輩に、「君の〇〇直した方がいい」「〇〇なところ改めるように」と言われていたら、本当に改める必要があるのか、じっくり考えた方がいいかもしれません。

上司は上司の性格や価値観があって、あなたはあなたの性格や価値観がありますからね!

これからは、『個人の時代』へと変わっていきます。尖っているところが少しでも「誰かの役に立ちそう」「ビジネスで生かせそう」と感じたら、もっと尖ってもいいんじゃないでしょうか?

おわりに

以上、年上のよく言う「昔は尖っていた」けど「今は丸くなった」に隠された本当の意味から、「果たして丸くなることが良いことなのか」について考え、そこから僕の思いを書かさせて頂きました。

少しでも皆さんの良い人生を!



サポートして頂きありがとうございます。 私の言葉であなたの人生のサポートが出来たら幸いです。