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”自分らしい感じ方”を尊重したい

特に去年(2018年)は、いろいろな事情が重なって(以前のnote参照)うつうつライフを過ごした。

「なんか自分にしんどかった時があったみたいだな〜」と、半分忘れながら飲み込んで生きていくのもいいんだけど、そのとき感じたことをなかったことにすると、いつかゾンビみたいに負の感情が湧き上がってきそうな気がするので、いったん雑文として吐き出すことで軽く成仏させようと思う。

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もともと自分は、わがままの頑固気質だ。

小さい頃から自分がやりたいとセットしてしまったことはなかなか融通や修正が利かない。自分の行動に関する意思決定に第三者が絡んでくると途端に不機嫌になる。相手と折り合いをつけて、何かを飲み込んだり許したりしながら、とりあえず進み続ける、という経験は本当に乏しい。

保育園のときは自分がつくった砂山を友達にちょっといじられただけで激怒したし、思春期にニキビが大量発生したときも、あきらかに効果が出てなかった皮膚科の薬を「これしっかり使い切らんといけんのじゃ!」とか言って、転院を頑として認めなかった(結果、転院したらけろっとキレイになった)。
せっかく念願叶って新卒入社した大企業も、自分の意思を会社にチューニングすることが上手くできずに1年足らずで辞めた。

自分のこだわりエピソードを語ると、けっこうな頻度で周りから「めんどくさ(笑)」と言われるし、医療や福祉業界で働いてきている妻さんには「典型的な大人の発達障害だね(苦笑)」といわれる。

同時に、そんなわがままなを尊重してもらいたいから、同じように相手の感じ方を否定したり、修正しようとすることは絶対しまいと思っていた。
いうならば「お前の考え方には触れないから、俺の考え方にも触れるな。」というスタンス。
それはそれで、ほんのり申し訳なさと生き苦しさを感じながらも、「めんどくさいキャラ」として許容してもらえるコミュニティを自分で見つけながら、生きながらえてきた。

でも、いざ社会に出てみると、そんな自分の堅いルールを一貫させることが難しくなってくる。仕事もそうだし、家庭を持つことだってそう。自分の譲れないことと、相手の譲れないことが衝突するときの着地点の付け方がわからない。

「これは自分としては許せんが、相手にとっても譲れんのかもしれん。逆に、これは自分にとっては譲れんが、相手にとっては許せんのかもしれん……」

言い合える間はまだいい。
問題は議論が平行線を辿ったり、自分の言い分が通らないとき。「なんで自分の考え方を通せないんだ。これは自分は社会的に認められないことを言っているのからではないか?」という方向に認知が歪んでいく。

「ここまで自分の考えが通らないってことはわがままじゃないか?1人の社会人として人間的に許されないことじゃないか?こんなことを拒否したら社会生活送れないんじゃないか?」

そうやって自分の感じ方・考え方と、あいまいな社会の「べき論」を照らし合わせていくうちに、本当はかけがえのない“自分らしい感じ方”を見失っていき、徐々に自罰的にもなっていく。

実態のない、“世間”なんていうものが、自分の頭の中で勝手に強固なものになる。
友達との会話、ニュースの報道、本が述べる内容……自分に降りかかるあらゆる言動が、自分の感じ方や考え方を改めようとしてくる“敵”に思えるようになった。

そんな世界で暮らしていると、どっと疲れる。
人と会話するときも、心のガードを常に高く上げなくてはいけない。これだけでも相当なエネルギーを使う。変に手を出すと無防備にカウンターを喰らう恐怖もある。自分の感じ方・考え方を表に出すことがどんどんできなくなっていった。当たり障りのない言葉をガードの下からちょこちょこっと出すことしかできない。
自己表現で生きてきたような人間なので、表現の回路に不具合が生じると、自分の中で不完全燃焼が起こり、「心の一酸化炭素中毒」みたいな状態になる。

気づいたら徐々に心がくたびれていた。人と会うことがおっくうになり、なかなか眠れない。
そして、いよいよ心療内科に行った。やはり”クロ”。しばらく薬を飲みながら働いて少し回復したあと、念のためお休みももらった。

それでは今、自分らしい感じ方・考え方をありありと得られるようになったか、というと正直まだまだ本調子ではない。

反省としては、「感情」と「行動」を、一対一のものとして紐付けすぎたなと思う。感情と行動は切り離してもいいということを知らなかった。

自分らしさに反することをやらざる得なくなったとしても、
「自分らしくないことをした。。自分らしさを汚してしまった。。」
と自分を責めながら行動するのと、
「ちぇっ、しょうがねぇなぁ〜。面倒くせぇ〜!」
とネガティブな気持ちをしっかり認識しつつ、感情と切り分けて行動するのとでは、のちのち心に残るダメージはちがう。

「自分らしさ」は、すべての行動に宿っていなくてもいい。
たとえ相手との間でそれぞれの譲れない「自分らしさ」がぶつかって、結果的に相手側の選択肢を取ることになったとしても、自分の感じたことをなかったことにしてはいけない。心の中で「お前は、本当はそう感じていたんだよな。わかっているぞ」と自分をあやす1アクションがあるかないかでモヤモヤの沈殿度が変わってくる。

そして「今回はそうするけど、自分はこう思っているよ」って、相手にもコツコツしっかり伝えられるようになれるといいな。

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