教育虐待・・・て、国家による日本人虐待だは。


より

上記文抜粋
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<漫画>勉強を“させられすぎて”精神が崩壊する子供たち…後を絶たない“教育虐待”の実態


 進学塾に競争心をあおられた親が、問題が解けるまで子供に食事をさせず、トイレにも行かせない。倒れた子供が入院しても、病院で勉強をさせ続ける。そして、ついに親子ともども心を壊し、ストレスはおぞましい形で他者に向けられる……。


 漫画『教育虐待—子供を壊す「教育熱心」な親たち』(原作・石井光太、構成・鈴木マサカズ、作画・ワダユウキ)では、目を背けたくなるような衝撃の光景の数々が描かれている。しかし、それらはいずれも現実に起きている“教育虐待”の実例でもある。


 第三次中学受験ブームが過熱する中、世間から隔絶された子供部屋で何が起きているのか。漫画の原作者であり、同名書籍で“教育虐待”を明らかにしたノンフィクション作家の石井光太氏に話を聞いた。

◆今に始まったことではない“教育虐待”


――同名の新書に続き、漫画でも“教育虐待”について世に訴えています。


石井光太(以下、石井):少年院やフリースクールなどを取材すると、子供たちはかなりの割合で何らかの虐待を受けています。しかし、その統計の中に入っていない子供たちもいます。身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト(育児放棄)などに含まれない、見逃されている虐待もあって。その一例が教育熱心な親による“教育虐待”です。大抵の場合、“教育虐待”の被害に遭った子供たちが一定数いるのです。


 親が子供に勉強をさせることはおかしくありませんが、あまりにも過剰で厳しい場合、心身を壊して苦しむことになります。本人たちもそれが虐待だったと気付いていないケースがほとんどです。表に出てこなかっただけで、今に始まったことではないはずです。


◆苦しみを言語化することすらできない子供たち


――今年3月から漫画もスタートし、8月7日に第1巻が出版されました。どのような反響がありましたか。


石井:教育虐待を受けてきた人、それを間近で見てきた教員からの反響が大きいですね。専門家の中では、教育虐待は心理的虐待とイコールだという認識はあるのですが、まだ世間的には認知されていません。書籍や漫画を読んで、「自分が親にされてきたことは“教育虐待”だったのだと気付いた」という声が少なくありません。教員からは「よく代弁してくれた」という意見が多いですね。彼らは保護者に「子供に勉強をさせるな」とは言えませんから。


――原作者として、どのように漫画に関わっていますか。


石井:私がストーリーを書き、それを鈴木さんがネームに起こし、ワダさんが絵にしていくという役割分担です。実際にあった事例をそのままストーリーにしているのではなく、これまでの取材で蓄積したさまざまなケースを一度分解して、エピソードごとに要素を盛り込みながらストーリーにしています。


 例えば、「ケース1 教育という名の暴力」の第2話では、“教育虐待”によって洗脳された子供が心を壊して入院しているにもかかわらず、一心不乱に勉強し続ける姿を描いています。実際の取材でも、「子供に何が苦しいの?」と聞いても「わからない……」、「なぜいい学校に行きたいの?」と聞いても「みんな行っているから……」としか答えられない。本人もなぜ勉強しているのかわからない。その子の手首を見ると、ザクザクした傷跡がある。苦しみを言語化することすらできないのです。


◆“教育虐待”が放置されている理由は…


――第3話では、“教育虐待”を受けている女の子が、同じように親に追い込まれた兄から性的虐待される衝撃的なシーンもあります。


石井:漫画では名門校に進学した兄による妹への性的虐待として描いていますが、“教育虐待”によるストレスは、いじめや万引き、あるいは自傷行為など歪んだ形で確実に表に出てきます。受験に押し潰された子供だけでなく、競争に勝ち抜いた子供であっても、無理やり勉強を強いられたストレスは相当なものです。人によっては社会に出た後に、抱え続けてきたストレスが何らかの形で現れることもあります。


――なぜ、このような“教育虐待”が放置されているのでしょうか。


石井:現状の虐待の概念にうまく当てはまっていないからだと思います。いくら子供のためであっても、親が人格を否定するような言動を浴びせて勉強を強いる行為は、本来は心理的虐待に当たります。しかし、一般の人が考えている心理的虐待とは少し異なるので、見逃されてしまいやすい。また、“教育虐待”はネグレクトと真逆です。子供たちは勉強をさせてもらえている。ある意味で恵まれた家庭に育っています。子供に勉強をさせる親は、正しい親だと世間的に思われていることも大きいと思います。“教育虐待”を受けた人自身が、大人になって社会的地位を手に入れて、過去の体験を肯定してしまうケースも少なくありません。


◆親自身も「生き方も迷走している人が多い」


――どうすれば“教育虐待”をなくすことができるでしょうか。


石井:やはり“教育虐待”を独立した虐待の概念として認知しない限り、難しいと思います。例えば、子供が見ている前で夫婦が暴言や暴力をふるう行為は、昔はただの夫婦喧嘩で済まされてきました。しかし、今では面前DV(ドメスティックバイオレンス)という子供に対する心理的虐待であり、警察や児童相談所へ通報する義務があります。同じように“教育虐待”という言葉も認知されれば、変わっていくはずです。


――加熱する中学受験ブームが“教育虐待”の温床になっているのでしょうか。


石井:受験ブームの影響もありますが、親が目にみえる成果を金で買うような風潮が大きいと思います。保育園や幼稚園の頃から知育おもちゃを買い与え、習い事に通わせる。その延長線で、小学3年生くらいから進学塾に通わせて受験勉強を始める。塾側もそれをあおり、子供を合格させれば素晴らしい親、受からなかったらダメ親だと思い込ませる。親は子供のためなら借金してでも金を払いますし、社会全体がどうやって親から金を搾り取るかになっている気がします。


 また、親自身もコロナ禍以降、他者と接する機会が失われ、狭い価値観の中でタコツボ化しているように感じます。お受験ママ同士がSNSで繋がっていても、たくさんの情報を得ているようで、実は非常に狭い世界の中で生きている。子育てだけでなく、自分の生き方も迷走している人が多いのではないでしょうか。


◆「YouTubeかゲームしかしない」子供は…


――最後に、今まさに“教育虐待”を受けている子供たちに伝えたいことは。


石井:漫画化したのは、“教育虐待”の被害を受けている子供たちに、自分たちがされていることは虐待なのだと気付いてほしいからです。そもそも被害を受けていることすらわからなければ、誰かに相談することもできません。うちの家庭はおかしいのかもしれないと認識することで本人の生き方が変わるはずです。


 そして、親たちにとってもブレーキになればと思っています。子供が苦しんでいるのに気付いていても、すでに受験に多額の費用をつぎ込んでいれば、なかなか途中でやめることができないかもしれない。でも、子供を信じてあげてほしい。よく親は「うちの子は放っておいたらYouTubeかゲームしかしない」と言いますが、もし本当にそうなら、すでにその子はおかしくなっています。必ず子供は自分で好きなものを見つけて歩んで行きますから。


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抜粋おわり

まあ、天皇家が、日本人に虐待し続けているしね・・・

 より

上記文抜粋
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【子どもの24時間、今昔】
人間の脳は24時間働いています。

かつては、24時間のうち、学校はほぼ8時間。睡眠が8時間で残りの8時間が家庭や地域で過ごす時間でした。

それが今は勉強(教わること習いごとや塾や学童含む)に関連する行動をしている時間数が増えて、家庭や地域で過ごす時間が大きく減少しているのです。しかもその少ない時間の中で、ネットと過ごす時間が3-4時間。

実は、学校の中で学んでいることは人生の学びのごく一部分です。
それなのに、もし、学校の学びを放課後や土日に持ち込んだら、
その分、生活の中で他のことを学ぶ時間を減らさざるを得ないのです。

家族との団欒、家事、友だちとの遊び、自然を感じたり、自分で何かをやってみたり、学校帰りに地域の人に出会ったり、脳を休ませたりする時間がなくなってしまうのです。今は、学校の送り迎えまで車で親と一緒という時代。かつて、探究は遊びの中でできたのに。。。

【脳や心の発達について】 
今の50代60代以上の大人たちが子どもの頃にあたり前に享受してきた生活からの学びの機会が失われています。

それを奪うことによる子どもたちの発達上の損失に気づいているでしょうか。

大人たちは学校外の時間を豊かにすることの大切さを考慮しているでしょうか。喧嘩して仲直りをして人との距離感を学んだり、家族のきずなを学んだり、嫌いな人との付き合い方や失敗のリカバリーの仕方、効率的な整理整頓の仕方や季節感、五感、家事の仕方、一日の家事を回すプログラミング、
近隣の人とのお付き合いの人間関係。

いわゆる非認知能力、社会情動的力と言われる脳幹や大脳辺縁系の発達は、幼少期に育つと言われていますが、勉学させることを低年齢化するということは、そういう脳の基本的な発達をおろそかにしてしまうということです。

【身体の発達】
また、机にずっと座っている、ネットに向かっているということは、それだけ身体を動かさないということになりますから、身体発達にも影響が及びます。万歩計をつけなくてはならないのは、今や高齢者だけではなく小学生もなのです。小学生はもっといろいろな動き方をしてほしいですけれど。

生活のすべてを捨てて受験に向かうということが、
どれだけ子どもたちの体と脳と心の発達を阻害するかについて、
日本人は気がついていないように思います。

【子どもたちも洗脳される】
一方、小学生が得られる情報は、家族や学校、学童や塾や習い事などの大人からの情報に限定されます。自分を庇護してくれる親や教師などの大人の言うことは絶対です。勉強しなければならない。いい学校に行くことが将来いい人生を歩むためには必須であるというような情報しか入ってこない中では、抵抗できません。

自分の成長発達の方向性に反するのですから、感覚的にそれを拒否したくなるのは当然だと思いますが、嫌ということはできても、ではどうしたらいいかというような議論になればよくわからず、大人に負けてしまいます。

あきらめて言うことを聞いた方が、波風が立たず、罰も受けずに済み、むしろ褒められるという生活の中で、子どもは飼いならされて行きます。大人の価値観が内在化していくわけです。

低年齢であればあるほど、大人は子どもをコントロールしやすいため、受験に集中させるためには低年齢からスタートさせるのがよいと受験産業はアドバイスします。受験産業の目的は、受験に成功させる率を高めること、効率的に子どもたちを勉強に向かわせて、成果をあげることですから。

しかし、大人にコントロールされる子どもは、好奇心を抑えられ、主体性を奪われ、自分の意見を言うことをあきらめた子どもです。

やる気満々、自ら勉強したいという子どもたちもいますが、それは、質のいい学びである場合は好ましいことですが、多くは学びの好奇心によるよりも、ゲームとして得点を挙げることに対する喜び、他者に対する優越感に起因するものでしょう。

何かを学ぶことによる悦びが得られるような塾や宿題もあり得ますが、それらも、子どもの頃は、むしろ外遊びのなどで得られるほうが幅が広いのではないかと思います。

【中学受験】
でも、今、親の社会的経済的地位が子どもの学力に比例するという教育社会学の研究や、経済の視点で教育を捉え、より効率的に学ばせる必要性をうたう教育経済学の研究が発表されて、親たちは、自分たちの責任で子どもの学力が低くなったらどうしようと心配です。

受験しないと、地元の「受験できない子たちが集まる公立中学」に行かなくてはならなくなるから、うちも受験させなきゃ、になります。

少しでもいい学校に入れてあげたい、それは親の役目だ、と世間が言います。せめて周囲に恥ずかしくない学校に入ってほしいと親は願います。

そのためには少しでも早くから準備をしなければならないと、親は煽られます。受験勉強はどんどん低年齢化していくのです。

1月から2月にかけて、学校はお休みの子どもだらけ。授業にならないということも。受験は、何よりも優先されなければならないことになっています。

さて、思い出してください。最初に書いたことを。
大人たちがみな良かれと思ってやっていることは、子どもたちの発達にとってどうなのでしょうか?
人としての学びが、薄い教科書やタブレットの中に入っていると勘違いしているのではないでしょうか。

今年も、夏休みが始まりました。

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抜粋終わり


より

上記文抜粋
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初めて、「教育をめぐる虐待」という言葉を外に出したとき、
親に責任を負わせるのではなく・・・と説明したら、
「なんでも社会のせいにするのはどうか」と言われました。

じゃあ、すべて母親のせいにするんですか?

ただでさえ、子育てで社会から隔絶され、不安になって、
迷い、必死になって子育てして、鬼のようになってしまった親たちは、
本来、救われるべき人たちではないのですか?

「毒親」って言って、責めたって、何の解決にもならない。
「教育虐待」といって憎悪を煽ったり、不安に陥れたり、そんなことをするために、言葉が使われてほしくない。

社会的マルトリートメント、という言葉で、
あいまいに、実体のない「社会」の責任にするのではないのです。

みんなで責任を持つ社会にしたいのです。

自分の所属する社会の責任を市民一人一人がきちんと考えて、
自分たちで自治していく社会にしたいのです。

一人一人は毒親かも知れない。鬼かもしれない。
私たちの持っている社会の価値観が作り出した鬼。
だからこそみんなで、いまのこの価値観そのままでいいのかって振り返って、みんなで力を合わせて歩み始めたいのです。

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抜粋終わり

毒親の生みの親は、「その親」以上に、国家・社会・システムである。

でも「天皇を信じる」ということで「脳が破壊されている」多くの日本人は、気が付かない。

異常なシステムが悪ければ、システムを治せばいい。それを怠ることが「刑罰」「処刑」につながる。
その「システム」の悪・欠陥を見出して、改善していく。それが理解してできるか如何か・・
それが、たぶん「日本人とその社会」の未来を決める。

革命して「システム」を変えたらいいのだ。別に人を殺す必要はない。

「悪しき制度」は天皇はじめ「辞め」たらいいだけ。

で、それに抵抗が激しければ、物理力を機能させるしかないけど・・・それが好きなのが「天皇原人」なので大変だ。むろん日本が滅び天皇を誅殺したら、その辺はもっと得意な中ロがそれをするだけです。日本人が「天皇」を残してシステムを変えれないのなら、、、日本人の生存が望まれる場合の必然です。

天皇を滅殺して  日本の元気な子供を取り戻す

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。


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