無慈悲な社会が「「やさしさ」過剰社会」を呼ぶ。
>「やさしさ」過剰社会 人を傷つけてはいけないのか
では、平然と傷つけていいのかね。
学校では、いじめで、今でもゴロゴロ死んでいる。
「無職転生」をみてもわかるがそれでの脳・精神や経歴の大きな損傷・障害には一切補償もなく、改善の動きも無い。
パワハラやモラハラで、精神を病んで挙句に自死させられる。
体罰で、終生にわたる障害を負っても「根性が足りない」「みんなのため」と泣き寝入りさせられる。
ヘイトを「愛国心」という。
先輩後輩で、後輩の助言・諫言も、「逆らうな」と昔日なら暴力が当たり前。
それを法律も司法も、是正しようとしない。
そんな社会だから、逆に「やさしさ過剰社会」にもなる。
力あるもの・権力者・天皇とその縁者は、上級国民で、何しても構わない。
てなると、平然と傷つける。
逆にそれ以外の言動は異様に「優しく」なる。
普通に叱っても、「殺してしまえる」のが、「選民思想社会の上級者」でそれが町中うろうろしているのだから、用心するし、
そうでなくとも、上位者の「叱責」が「天皇社会」なので、「神の声」で強すぎるようになるからね。
日本列島が「天皇とその縁者と上級国民の無法の遊び場」なので、それ以外の人は、用心深くなるのも必定だろう。
強者・権力者の言いなりが正しい。
弱者は、強者に言いなり以外は許されない。
天皇はじめ指導者は一切責任を取らなくてもいい。
まさに「法治国家」と言うよりも「やくざ国家」
あるいは「世紀末の無法状態」
なぜに「天皇」が諸悪の根源か。
なぜに「天皇」が人倫と日本人の敵か。
それは「忖度」でもって、動くことをしないと、動かないのが「天皇制国家」であり、
そういう社会・国家は、公式な「命令・指令」よりも「空気・忖度」がより重要になる。
公式な命令よりも上位者の「意思」を忖度して動く。
てのが重宝で、それは上位者・天皇は、責任を取らんでいい。
そうなると「権力者・指導者」の責任も薄くなる。
それは「顔色を見て生きる」のが、最大の道徳で処世術になる。
さらに、上位者・指導者の「命令・指令」は、軽くなり、些細な呟きやボヤキが、「命令」同様かそれ以上に権威や意味が生まれる。
そのような場合では、「上位者・権力者」の呟きが、即下位のモノの命令や指令になり、「忖度」で動かないと、「ダメな奴」とされる。
そうなると、もうまともな「命令・指令」による「責任の明確さや、命令系統の一貫性」など、ぐずぐずに崩壊する。
まあ、一種の「神のご宣託を聴いて、動いて、それで失敗すると、宣託をきいた部下・下位者の責任」みたいなのもになる。
まともな「組織」として機能するはずもなく、「トカゲにしっぽ切り」「無責任」「責任者が、部下に責任を擦り付け」「ゴマすりの横行」で当然に組織は崩壊する。
何処の組織にも「最前線」で頑張る下位者・部下がいて機能するのだが、それを「食い物」にしか思ってないのだから、まともに存続し続けるわけがない。
職業倫理も人倫も、消え失せて「力あるが勝ち。弱い奴は自己責任で強者の餌」まあ人間の世界ではない。
まあ、普通に逃げ出す。
海外に逃げれない人は「引きこもり」になった。
それがなんと150年。
それが「日本列島」
だから
「あの時に裕仁を斬らなかったから、日本人は死滅するのだ」
と気付かない。
まあ、そんな「偽ニホンザル」が、「日本人」とかいう奇妙な生き物である。
でも本当に「やさしさ過剰」なのかね・・
中国武術の達人伝の中に「ほかの人の武術・訓練を、けっしてバカにしたり批判することがなかった」と称えられる人が結構いる。
それを「やさしさ過剰」っていうのだろうか・・・
本当は、帝政日本社会が、本質的に「優しくない無慈悲な社会」だから、多少の「配慮」でも「やさしさ過剰」って言われるのかもしれない。
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