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自分だけの文体は、人生観を揺らがせてくれる文章からつくられる〜現代は『ズレずに生き抜く』、過去は『夜と霧』〜

「文体・・・自分の文体がほしい・・・さらには文章を超えて私だけのコミュニケーションを・・・」と最近うなっています。仄暗い文章、はじめるぜっ。

これだけ1日で社会の流れが行ったり来たりするこの頃ということもあり、コンテンツのあり方もクオリティ重視から、コミュニケーション重視に変わったからです。もう誰のどの情報が確かであり、どの情報を信じたらいいかわからないからです。専門家の方同士でも意見が分かれたり、専門家だと思っていたら実は専門家ではなかったり。

そうなってくると、「1発で信じさせるコミュニケーション」から「よく考えて自分の答えを出すコミュニケーション」の価値が上がってくるように思います。説得するコミュニケーションよりも対話するコミュニケーションです。

人生観を揺るがせてくれる1冊〜山本一郎さんの『ズレずに生き抜く 仕事も結婚も人生も、パフォーマンスを上げる自己改革』〜

では、そんな「よく考える時間をくれる対話のような文体」はどうすればつくれるのかと考えると、Howの話ではないように思います。スキル、ノウハウで何とかなるものではない。普段から何を考えて生きているかのWhat、さらにはなぜ生きているのかのWhyから文体が生まれるのではないでしょうか。

そんな人生観なるものから文体が生まれるとするなら、人生観を揺さぶるひとや文章に出会うしかないはず。

それは一見すると冷たい現実を突きつけてくれるもの。いまの自分を肯定して強化してくれるものではないはず。

例えば山本一郎さんは『ズレずに生き抜く 仕事も結婚も人生も、パフォーマンスを上げる自己改革』(文藝春秋)の中で、人生観を揺らがせてくださいます。

美人でも美男子でもない大多数が、若さすらも失い、たいしたことのない人生を送る。人生はその暇つぶしとして過ぎていくのが現実です。

P76『ズレずに生き抜く 仕事も結婚も人生も、パフォーマンスを上げる自己改革』(文藝春秋)山本一郎さん
同じ時代に生きる私たちの9割9分9厘は、何者にもなれず、何事をなすこともなく、ただ平凡に日々を生きて死んでいく運命にあります。(中略)それこそ、宮台真司さんが著書『終わりなき日常を生きろ』で喝破したように、理想も花の巣も失われてそれぞれの人生を物語として紡いでいく時代となった割に、人間として生きるための確たる規範を求めがちで、しかしそれが示されずに漂流する現代日本人、みたいなものが常態化しているのかもしれません。

P77『ズレずに生き抜く 仕事も結婚も人生も、パフォーマンスを上げる自己改革』(文藝春秋)山本一郎さん

ここまで安易に「人生観」なんて言葉を使ってきましたが、人生がどんな姿をしているかというと、この「私たちの9割9分9厘は、何者にもなれず、何事をなすこともなく、ただ平凡に日々を生きて死んでいく」人生なんじゃないかなと思います。

でも、これでようやくスタートに立ったような気がします。自分が立っている位置、大前提、歩いているレールの輪郭が言葉になったように思います。

この文章は、これまでの家庭の親の教え、学校生活での教育、就職活動のキャリア論、会社の社員教育では教わらなかったことです。

「教えてくれよ」と思ったりもするのですが、その責務を他人に負わせるのはきついですよね。ほとんどのひと、特にひとに教えたり導いたりする立場のひとは夢を与えることを願っているはずですし。

この「私たちの9割9分9厘は、何者にもなれず、何事をなすこともなく、ただ平凡に日々を生きて死んでいく」人生の正体は自分で気づくものなんじゃないかなと思います。

人生観を揺るがせてくれる1冊〜ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』〜

ようやくヴィクトール・フランクルが『夜と霧』の中で説いていたことが、考えられるのではと期待しています。「人生」の正体がおぼろげても見えてくれば、「人生の意味の問題に正しく答えること」や「生きることの問いに正しく応える義務」の意味も考えられるようになりそうかな。

人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。(中略)人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。
P183『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル (著), 霜山徳爾 (翻訳)


わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているのかが問題なのだ(中略)もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく応える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
P129〜130『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田 香代子 (翻訳)

山本一郎さんの言葉からヒントをもらって、ヴィクトール・フランクルが示したことを考えていたら、必然的に発する言葉、書く言葉も変わってくるはずです。

一面だけを捉えた文章、コミュニケーションから多様な面を見通した文章、コミュニケーションに変わるのでは。そのときに浮かび上がってくるものが文体。だといいな。

いまのところ、文体の仄暗さがすごい・・・。ちなみに妻に「今日のnote暗い」と話したら「私が出産で入院する日が近づいてきてるから、さみしいんじゃない?」と言われました。それか。それなのか。

トップ画像はあぴさんのお写真です

トップ画像はあぴさんのお写真をお借りしました。考えているようで、考えられていないような。「でも考えているんだよう!」な表情のお猿さんがかわいいです(笑)。ありがとうございます。

〜自己紹介〜noteを毎日更新して48日目〜

佐野創太 ちょっといいことライター・編集者@人間関係、音楽、採用、夫婦

編集長・インタビュアー・ライター。サービス・採用広報・Webメディア・顧問編集の発信体制を立ち上げています。
「理想を持って発信しているのに距離を感じる」方の話を聴き、あなたに合った文体を見つけます。
専門は事業開発・採用・音楽・共働き夫婦です。
ライブ、歌詞の深読み好き。妻ファーストな兼業主夫
※所属、複業先はトップ画

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◆「おうね。」編集長、トナシバ編集長、eumo編集長
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◆共働き小説を連載中(完全原稿
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