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[前編] 僕のキャリアの原点となった新サービス開発

ども。たいろーです。皆さん、今日も急成長してますか?

今朝のVoicyは、ユニコーン転職ラジオのスポンサーである、IT/Web業界に強い転職サイト『Green』の井端さんとの対談でした。

放送では、なぜ僕の番組にスポンサードしたいと思ったのか?どういう考えでGreenというサービスを運営しているかなど、個人的に気になっていたことを聞いてみたのですが。

このChapter.3で触れている『WILDCARD』というサービスを、僕が立ち上げた経緯について、ちょっと当時を思い出しつつ書いてみようと思います(サービス自体は既に閉鎖)。

僕は、2013年にこのサービスを出したことで、当時のHR界隈で「変人」扱いされるようになりました。リクルートで執行役員を務めていた先輩や、あのmotoさんも覚えてくれていましたし、今日も放送の中でアトラエの井端さんが「あ、あれですか!知ってます!」と言ってくれました。

彼らの反応は一様に「あれ考えたのはマジでヤバい」「よく出しましたね」「変人か天才のどちらか、というか変態ですね」といった感じで、リリース後2年程度で閉鎖(リリース後に代表の僕がビズリーチに転職してしまったのもありますが)したにも関わらず、良くも悪くも記憶に残るサービスだったようなのです。

今回は、そんな当時の経緯を説明しますね。少し長くなるので、前編と後編に分けてお届けします。後編はこちらからどうそ。

■ きっかけは副業

2012年当時、前年の東日本大震災がきっかけで勤務先が倒産。転職エージェント経由で転職した企業でマーケティングの責任者をしていました。

予算を使って外部メディアに出稿するというより、自社サイトをプロダクトに見立て、コンテンツマーケティングでリード(問い合わせ)獲得を増やす仕事でした。キーワードのデータをリサーチし、仮説を立ててから計画的にコンテンツをぶつけて反応を獲得していく仕事は、僕にはすごく合っていました。この時期、プログラミングは副業でやっている程度でした。

そしてこの時期、リクルート時代の同期が営業部長として転職した企業から相談があり、これまた副業としてWebのアドバイザーをやっていたのです。業務委託で月30万円くらい頂いていました。今思えばこれ、相手からするとリクルーティングの一環だった気がしますけどね。

■ 会社つくるので社長やって下さい

ある日、アドバイザーをしているその企業のお偉いさんと新卒採用について雑談をしていたんですが、彼がふと、こんな風につぶやいたんです。

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「は〜、サイバーエージェントの内定者がいたら、速攻で内定出すのにな」

この話を聞いた時、頭に一瞬ビビッと来るものがあって。次の瞬間には

「じゃあ、内定者しか登録できないスカウトDBを開発しましょうか」
「サービス名はWILDCARDでどうでしょう?」

まさにこんな感じで、電光石火でサービスコンセプトとネーミングを提案したんですよね。そしたら、お偉いさんも「いいですね!やりましょう!」とすごい乗り気になってしまって…。

しまいには「子会社つくるんで、そこの社長やってください」「全部任せるので、サービスつくって出して下さい」とトントン拍子に話が進んでしまったのです。これにはさすがに、ビックリしました。判断早っ。

そして、僕はこの内定オファーに面白みを感じて、あれよあれよという間に「子会社の社長」として転職することになってしまったんです。社長って言っても名前だけです。企画や開発など、ほとんど自分でやるわけなので。

■ 転職後いきなりシリコンバレーへ

そして、僕は入社後、サービスの企画やER図(データベースの設計図)など諸々の仕様をメンバーと詰めながら、いきなりシリコンバレーに勝手に出張し、勝手にリモートワークしました。

目的は、業界を覆すようなサービスがしばしば生まれるインターネットサービス震源地であるシリコンバレーに行き、肌感を得るためでした。

なにせ、当時の国内スタートアップ界隈は今ほど盛り上がっていませんでしたし、情報も不足していたので「独自のコンセプトからサービスを高速でつくってリリースする」という一連の流れがピンと来てなかったんです。

もちろん国内インターネット業界には2005年から関わっていたしプログラミングもやっていました。ただ、それまでは既にあるサービスの一部分についてコードを書いたりはしていたものの、企画〜設計〜実装〜リリース〜改善までの一連の流れは経験できていませんでした。

それに当時、英語も話せなかった僕からすると「シリコンバレー?なにそれ、美味しいの?」という印象で。遠い異国の地で起きているような事に感じていたんですよね。

そんな矢先、あの孫正義さんの弟である孫泰蔵さんが、facebookで突然「シリコンバレー行って現地のハイテク企業を周るから、興味ある人は現地集合で〜」と投稿していたのを偶然目にして、「これはチャンス!」と飛びついたというわけです。もちろん自腹です。

そして、この自腹出張で、僕のインターネットサービスに関する認識は一気にアップデートされることになります。

現地では、孫泰蔵さんの計らいで、Googleやfacebook、メルカリ創業者の進太郎さんがウノウを売却した米Zyngaのオフィスを見学。こちらの写真は、当時伸びていた『Sound Tracking』というスタートアップのオフィス。立って仕事をしているエンジニアが印象的でした。

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今や世界の自動車産業を変えつつあるイーロン・マスクのTESLA。その代表的なモデルに試乗させてもらい、少し先の未来が垣間見えました。

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「未来の自動車は、大きなスマホみたいなものになるんだな」と実感できたのも、この時です。

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ちなみに、この旅では、当時まだメルカリ参画前の小泉さん(メルカリ取締役会長)にも会っています。今思えば、その後の僕のキャリアの伏線がこの時点で仕込まれていたような、そんな不思議な旅でした。

さて、ちょっと長くなったので、前編はこの辺りにしておきます。

後編では、出張から帰国した僕がどういう風に自分のサービスコンセプトを整理していったのか、そのあたりについて書いてみますね。

今回も、読んで頂きありがとうございました。

ではまた。

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