本を売るならブックオフ


自身の読書体験を遡ると、母の本棚にあったサン=テグジュペリの『星の王子さま』に辿り着く。
母の本棚は、小学三年生のとき、突然リビングに現れたような感覚があった。母親という生き物に対する興味と、それは同時に発生したように思う。『キャンディキャンディ』や『日本のきのこ』など、漫画や図鑑が多く並んでいて、それらは当時の自分が想像しうる母の趣味の範疇を超えていなかった。ただ、『星の王子さま』だけは違った。特に言語化できる理由はなかったけれど、この本をコレクションに加える母の姿が想像できなかったし、本棚の中でなんだか浮いているような気がした。読みたいというよりも、所有したいという気持ちが先行して、父に初めて小説をねだった。これまでコナンとこち亀ばかり読んでいた娘が小説に興味を持ったことが嬉しい様子で、「小説ならなんぼでも買ってやる」と張り切っていた。買ってもらった次の日に、ろくな感想も思いつかないまま一気に読み切り、千冊ほどあった漫画本コレクションの間にそれを収めると、もう暫く小説は読まなくていいなと思えるほどに満足だった。
中学生になる直前の引っ越しを機に、漫画を全てブックオフに売り、本棚を捨てた。持っていた本棚を置くスペースが新居にはないことを知り、「全部持っていけないなら全部いらない」と意地になった結果だったけれど、惜しいとも感じなかった。それでも、なんとなく『星の王子さま』は手放さずに持って行った。

中学生二年生のとき部活を辞めて放課後の時間を持て余すようになってから、ぽつぽつと小説を読み始めた。一度本を買い始めると収集癖が再燃し、気がつくと本棚が必要になっていた。読み終えた小説はどれも自分の一部に思えて、次の引っ越し先には一冊残らず持っていくことにした。

高校生になってからは時間があれば小説を読んだ。学校に向かう電車で、休み時間に図書室で、嫌いな先生の授業で、夏期講習をサボって公園で。国語の自習時間に読書をしていて先生に怒られたときは、せめてもの反抗で国語辞典を読んだ。
毎日とんでもなく孤独だったけれど、少ない小遣いを握ってブックオフへ行き、買った小説を公共スペースで読んでいると、わけもなく将来に希望が持てた。その反面、ここで読書をやめてしまえば、学びを止めてしまえば、自分が未成熟なまま大人になってしまうという恐怖にも襲われた。
受験シーズンに入ってからは、さらに読書が加速した。指定校推薦で一足早く進学先が決まっていたし、頑張っているクラスメイトを刺激しないよう、「読書をしてる人」という風景に徹したかった。 卒業が近づく頃には読書がタスクと化し、さらに読書を通じて脅迫的に自分と向き合い続けたせいで、ただの自分オタクになっていた。他者と向き合うことはポーズにすぎず、簡単に人を傷つけたり、些細なことで傷つけられたと感じたりするようになった。当然、数少ない親しい人たちと心が離れはじめて、毎日寂しかった。

短大に進学してからも読書は続き、そのうちに自分も何か書きたいと思うようになった。ただ、致命的なことに私は自分オタクでしかなく、自分オタクが書いた文章のつまらなさはこれまでの読書を通じて十分に理解していた。私という人間はあまりにつまらなかった。地元のどこを歩いても、誰と会っても、つまらない自分が一生ついてきた。

 短大卒業を機に上京してから、小説がパタリと読めなくなった。実家から持ってきた数少ない小説のうちの『星の王子さま』も、表紙を開きたいとすら感じなかった。今考えれば、上京して数ヶ月はろくに働きもせず人と関わることも少なかったから、自分と向き合うという行為自体に意味が見出せなくなったのだと思う。自分に興味がなくなると、今度はとにかく人と関わりたくて仕方がなくなって、すぐに仕事とマッチングアプリを始めた。初めのうちは、新しい人に会って自分に興味を持ってもらうことが嬉しかったけれど、段々と興味を持てる相手に会うことが楽しくなった。親しくなった人に薦めてもらった小説はいくらでも読めたし、そうなれば読書は他者と向き合うための行為だった。気持ちが安定すると自分をつまらないと感じなくなり、これまでの読書体験も肯定することができた。


最近、趣味を尋ねられる機会が何度かあったので、読書体験を綴りながらも実は趣味について長々と考えていた。尋ねられたときは読書映画音楽、と答えるようにしているけれど、本当のところは親しい人と会うことのような気がしている。読書映画音楽は趣味のための勉強に近い。エンタメを通じて適切な自己愛、自己肯定感、他者愛、他者肯定感を万遍なく学ぶことにより、親しい人を大事にできる自分を継続していくという、我ながら鳥肌の立つ趣味だ。今後も趣味を尋ねられたときには、読書映画音楽と答えることにしたい。

それはそうと、みんなのすきな小説、映画、音楽、などなど教えてね。

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