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ここではないどこかへ
記憶にある中で一番初めに住んでいた家は、札幌の南区にある一軒家だった。その家は峠の手前に建っていて、周囲には住宅以外に、一台の自動販売機と山菜レストランとバス停があった。特に娯楽もなかったけれど、家の正面に山があり、子どもたちが過ごすには十分だった。
記憶の中のその家は、大半が雪に覆われていた。私を含めた五人の兄妹は、母たちが共働きであるのを良いことに、車道に向かってノンブレーキでソリ滑りをしたり
友達とは何か(あるいは美味しい海老フライの揚げ方)
二十歳くらいからPMDDの症状が月を追うごとに重たくなっていって、しんどいなあと自覚し始めた頃には生理周期も関係なく常に憂鬱だった。二年前に学童保育で働いていたとき、校庭を走り回る子どもたちを見ながら涙が止まらなくなって、職場へ行くことをやめた。それからは毎日家でずーっと泣いて、お腹が空いたら泣きながらスーパーに行って、ご飯を食べながら泣いて、帰ってきた恋人に八つ当たりをしながら泣いて、布団に入っ
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