映画「LaLaLand」から生き方を学ぶ

映画に限らず人生はそのモノに出会うタイミングが非常に重要。

タイミングを上手く見計らえば人生はとても質の高いモノとなるだろうと思います。

映画LALALANDでも同じことが語られている。

ミアとセブが2回目に出会うシーン

〜ミアの1日は仕事で疲れ果てイイことも起きない、そんな時セブの演奏を聴き感動する〜

このシーンでもしミアが素晴らしい1日を過ごしてセブの演奏を聴いていたらどーだったでしょうか?

きっとこの映画のようには感動しないでしょう。

このように人生は出会うタイミングが重要だとLALALANDは説いています。

もう1つLALALANDの解釈を紹介します。

この映画はラブストーリーだと思って見るのには勿体ないということです。

恋愛よりも学べる事がこの映画にはあります。

ミアとセブを見ていれば一目瞭然!

ミアのオーディションでのセリフを思い出して欲しい 、

「ここは夢見る愚か者達の街、狂っているように見えるでしょう」
「でも、ちょっとの狂気こそが鍵なの」

このセリフと最後のシーン
(ミアとセブが顔を見合わせるシーン)がLALALANDという映画を象徴していて最大の見せ場となっています。

ここで言う愚か者とは普通の人なら選ぶ愛を敢えて選ばずアート(自身の夢)を目指す者の事。

つまりこの映画は愛よりもアートを選んだ狂っている2人の若者のお話だということです。

しかもこの映画の監督デミアンチャゼルの一生を見るとなぜこの映画の結末がこれなのか即解決。

チャゼル監督は結婚していたが離婚、その原因は妻よりも映画監督として上を目指すというアートを選んだ選択からの離婚なのです。

つまり愚か者とはチャゼル監督自身のこと!!

なんと面白い、しかもチャゼル監督の出世作セッションではこのようなセリフがあります。

「チャーリーパーカーは人間としては破滅して早死にした」
「でも歴史に残った」

この監督が言いたいのは、つまり、

人生は二の次、人生よりも作品が大事でアートを命がけのモノと考えているという事。

なのでLALALANDは敢えて2人をくっつけず愛をも捨ててアートを追い求めたという狂ったような設定になっているのです。

このように映画というのは見るだけでも十分面白いです。

しかし、異文化、宗教、歴史、制作者の人生、古典映画や現代映画の数々、映画史などを理解し追求していくとより深く100倍面白いです!!!

補足

前半で

「あごに車のキーをかざすと車が見つかる、その代わりガンにかかりやすい」

といったセブのセリフがありましたが、あれは代償を払わなければいけないということでまさに夢を叶えるには恋を諦めるという代償が必要だってことですね笑

映画って本当深いなぁ〜

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