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俺は海賊王になる

漫画『ONE PIECE』の主人公モンキー.D.ルフィは自身が海賊王になると様々なところで宣言している。



更に驚くことにライバルの海賊たち、自身より格上とされる海賊たちにも堂々と宣言している姿が潔いと感じさせる。



じぶんが「(後世に名を残すような)何者かになる」と宣言することで後には退けぬし、日々のモチベーションにも繋がるのだろう。



ルフィのように盛り上がれる人は宣言するのが良いし、「何者かになるじぶん」を想像しながら暮らすのが楽しいはずだ。



しかしボクなんかはまったく反対の経験をしている。


こうなりますと宣言すると、その道半ば足りていない気持ちが溢れ出し、減点方式の日常になってしまい、今日「何者にもなれていないじぶん」を必要以上にフォーカスして、気持ちがどんよりしていたのを思い出す。


どうやって解決したかというと、コントロール感を手放し、不確実性があることを認めた、ということではないか?と思う。


「未来こうなりたいから今日、明日、この先これをする」から「今日これができた」を積み重ねて、足し算して、足したものでできることをしようという変化。

そして「何者にもなれない」じぶんもまぁ別にいいじゃないか。と思う精神。


そう思えるようになってから、生きるのがボクは軽くなった。



「俺は海賊王になる」という宣言は、カッコいいし、耳障りもいいし、何言ってても気持ちがいいから夢を語ることは素晴らしい。

もちろんこれが合う人はいい。

けどみんながみんな合うわけではなく、誰もがなりたいじぶんがあるわけではないこともまた忘れたくない。


声の大きなものではなく、じぶんにフィットするものに耳を傾けるということ。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
「これでいいのだ」というバカボンのパパの台詞は深い言葉なのだ。

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