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童話と今と、未来

物語や童話の中には、その時代の常識や、タブー、それを変えたいという願いや抵抗、風刺が込められている。

それらが受け継がれ、それを読んだ社会にその習慣や風習が残っていないほど、不気味さや恐さ、あるいは物語としてのフィクション性が強くなる場合すらある。


「ヘンゼルとグレーテル」という童話は捨てられた子どもたちが森をさまよい、お菓子の家に住む魔女の家にたどり着くものの魔女は自分たちを肥らせて食べようとしていて、その魔女を倒して自由になる、という童話の中の童話といった設定のお話し。

でもこの童話には飢饉による口減らしの「子捨て」という社会問題が隠されている。
それを童話にすることで読む親や、もしかしたら読み聞かせなどを聞く子にも、「子捨て」を意識した子もいたのでは?
と思うし、細かい詳細はどうであれ、物語に残るほど「子捨て」は横行していたが、現代はこの時のように「子捨て」は横行していない。


ディズニーでも有名な「白雪姫」は、映画好きの方はご存知だと思うが実写化すると必ずR指定を受ける原作として名高い。
それは「食人(カニバリズム)」と「死体愛(ネクロフィリア)」という人類がタブーとしてきた趣向が物語の中に存在しているからだ。

ディズニーでは魔女で継母、強い憎しみを抱いているが、初版の白雪姫は実母で、猟師に殺害を依頼、身体の部位を指定して、猟師が憐れに思い、動物の肉で誤魔化し、母に持っていくとその肉を食べるシーンがある。

そして王子様とのキスのシーンも初版ではなく、リンゴの芯を詰まらせて仮死状態の白雪姫の死体が美しく、死体をもらい受け、城に持ち帰る途中で部下が棺を落とし、白雪姫の詰まりは取れて目覚める。
という死体好きな王子様の蛮行と偶然が重なるどうしようもない物語で、もちろん今こんなことをする人は、ほとんどいないはずだ。


つまり何が言いたいかというと、人類の身体は、一番の根っこの感情は変わっていないかもしれないが、人が狂信的に信じる習慣や風習、常識はガラリと入れ替わったり、なくなったり、新しくなったりする。
そしてそれを変えるのは、あるたった一人の人の違和感だったり、憤りだったり、怒りだったり、熱意だったりする。

だから目の前のことに適応したり、受け流すこともとても大切だが、その小さな違和感が未来の人類を暮らしやすくすることのはじめの一歩かもしれないということを忘れないようにしたい。
と、受け継がれてきた童話を読むと思うのです。

人は狂信的な動物で、その人々が持つ常識は常に移り変わる。
今後こうなっていたらいいなぁっていうのが、未来の人の当たり前かもよ?



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