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人が嫌いという人

人が怖い。
人が嫌い。
人と居るのが疲れる。



そんなときは人との関わりを断ち、引きこもることはとても大切だ。

人が嫌い、怖いというその主語の大きさが、萎んだり、縮んだり、識別ができるようになる時間が必要であり、それらをお休みとか回復とか名付けているのだと思う。



でもそうやってお話しすると、じぶんは気質として、元々の性格として「人が嫌いなんです」と言う方がいます。


そうかもなぁと思います。
そういう人もいます。


それは否定しませんが、人は産まれた時に必ず誰かの庇護を求めて産まれます。
他者が居なければ、じぶんは存在できない、非常に不完全な形で世界に現れるからです。



ですから性質としてという性質が、どこまで根源的な性質かは怪しいところがあります。


人が嫌いで苦手なのは、嫌な人との関わりや記憶があるせいで、生きてきての学習の結果なはずですから、性質にまでしてしまうのは、ちょっともったいないかなと思います。



人と会いたくない人もオンラインゲームはしていたり、誰とも一緒にプレーしていなくてもゲームの中で行われていることは、人と協力したり、仲間を作っていくような営みのものも多いはずです。

アニメや漫画、映画、音楽なども、人間社会の営みをコンテンツの形で伝えているだけで、これも人の営みであり、人間は出てきます。


心の奥底に人と仲良くなりたいとか繋がりたい、認めてもらいたい、受け入れてもらいたいという気持ちが、もしあるとしたら、それを見るのはツラいかもしれないけれど、どうかその火を消さないで欲しい。


あなたに差し伸べられるその手は、あなたの中に微かにでもあるその火の灯火を頼りにしているのだから。



万が一、万が一、目の前の人が0.001%信頼できそうだったら、見せられる灯火はどうか灯していて欲しい。

それが人が嫌いじゃなくなる体験や記憶かもしれないから。





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