じぶんの頭で考える時間
幸運?にも僕らの暮らす社会はモノに溢れている。
飲み続けよう、食べ続けようとすれば、身体というストッパーがなければ、ほぼ際限なく摂取し続けることができるだけのモノが溢れている。
そしてインターネット、スマホの登場で情報にも溢れているのが昨今だ。
僕らは、いついかなる時も情報に触れていることが可能になった。
会社までの道のり、スーパーでの買い物中、皿洗いや洗濯物を干しているとき、親しい友人とごはんを食べている時ですら、僕らは情報に触れていることができる。
もちろんそれによって様々なことを知ることができるし、そのことで良かったと思うこと、豊かな時間を過ごすことができることもあるだろう。
しかし摂取のし過ぎをどこか恐いと感じるのは、僕だけだろうか?
毎日書いている文章も、友人への返信も、何かのアイデアを思いついたり、それらを練る時は、何かを摂取しながらというのが難しい、と僕は感じている。
つまり摂取のし過ぎは、じぶんの頭で考えるという時間を奪っているのでは?と感じるのだ。
たくさんの情報が頭に入っている人は魅力的に感じるが、それはその人がたくさんの情報のかけあわせで新しいアイデアを生み出しているからで、その新しいアイデアを生み出す力の源は、じぶんの頭で考えることを繰り返しているかにかかっている。
際限なく摂取するのではなく、量を気にしてみる。
どうも今の時代大切なことな気がしています。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
何事も程々がいいんです。
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