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大樹町に来たのは偶然だけど必然でしかなかった(後編)【長谷川彩】

やっと後編(最終回です!)

こんにちは。地域おこし協力隊の長谷川です。

年をまたいでしまった私の移住体験記、いよいよ最終回です(長くなっちゃった)。

(前回までのあらすじ)
本格的に移住先を探し始めた2018年。移住相談会や関連イベントに参加するうちに、北海道で活動する「プレイヤー」の存在を知る「私」。札幌市や下川町、滝上町など各地のプレイヤーと知り合うなか、2019年初頭に大樹の地域おこし協力隊・美佳さんと東京で出会うのであった……

大樹に来た全てのきっかけは美佳さん!

前回の記事のとおり、都内で「北海道・十勝のざっくばらんな相談カフェ」というイベントに参加し、美佳さんと会ったことが、大樹に来るすべてのきっかけでした。このとき、具体的に何を相談したのかはきれいさっぱり忘れてしまったけれど、美佳さんとは偶然隣町に住んでいることが発覚して(当時はともに横浜在住だった)、「またお会いしましょう!」なんていってFacebookで友達申請、その日はお別れしたのでした。

2019年4月〜2020年8月 ー仕事に殺されそうになった5ヶ月間ー

当時、私は2019年いっぱいは東京で仕事をして、翌2020年の4月から北海道で新生活を始めようと計画していました。しかし、職場の人事異動など環境の変化があり、2019年の4月から「寝てるとき以外は全部仕事」という地獄の日々がスタート。5月はじめの急性腸炎にはじまり(その後も再発)、うつ状態と診断され、人間ドッグでは婦人科系の項目に引っかかる。「ああ。こうやって人は仕事に殺されていくんだな」そう思ったら、もう頑張れる気がしなくなって、8月末には仕事を辞めていました。早い決断でした。

そう、北海道に行く目処は何も立たないまま…。

でもね。みんな。命より大事なものなんてないんだから、仕事はしんどかったら辞めて良いんだからね!辞めても絶対なんとかなるんだから!(本筋と関係ない心の叫び)

豊浦

▲心が荒んでいる時の夕日は心にグッとくるよね。(写真は豊浦の名もなき海岸)

2019年9月〜2020年3月 THE モラトリアム

自分の心身を守るために退職してしまった私は、「このままでは本当にヤバイ(=何も決まっていない)」という危機感を抱えつつ、久しぶりのモラトリアムを楽しんでいました。9月に入ってからは北海道に赴き、1週間ほどは井上姉妹(前回記事参照)がいる滝上町に滞在、その後9月中旬には札幌で「移住ドラフト会議」なるものが開催され、選手側として参加しました(※)。その後は、阿寒のリゾートホテルで2ヶ月ほど住み込みで働き、11月末には横浜に帰省。地元の自動車学校に通い、運転免許を取得。2020年を迎えます。

移住ドラフト

※移住ドラフト会議とは?
移住やUターンを検討している個人を選手、北海道の自治体や企業を球団に見立て、球団が選手を指名。交渉権を獲得するというとにかく面白い移住マッチングイベント(指名がかぶったらくじ引き!)。私は、浦幌町のTOKOMURO Lab.から一位指名を頂き、去年は一緒にお仕事をすることもできました!

この間も変わらず、いろいろなところで就職活動(的なもの)は続けていました。

ひとつ成果だったのは、阿寒に滞在したことで、私は北海道のなかでも「このあたり」が好きなんだ、と分かったこと。津別町や美幌町、弟子屈町などの釧路管内とオホーツク管内の境目にある町。その後、網走市や斜里町などさらに北方へ足を運ぶ機会もあり、「住むのならこのあたりが良いかも」と思うようになっていました。ただし「好きな場所でやりたいことをする」のは、本当に難しい。なかなか思うようにマッチングは叶いませんでした。職種を選ばなければ仕事はありますが、私はやりたいことがすでに決まっている。「住みたい場所」と「やりたいこと」を切り離して考えたとき、自分が優先したいのはどちらか?私の場合は「やりたいこと」でした。

津別

▲「このあたり」が好きな理由は「北欧っぽい」の一点。学生時代に北欧に留学してその魅力にハマり続けている私は、日本でも同じような環境を求めていたのだと思います。

2020年3月 ありがとう、コロナ。偶然の大樹訪問

コロナの影が確実に日本に忍び寄っていた2020年の3月。予定より早く東京の仕事を辞めたはずなのに、予定していた4月に北海道で新生活を始めることが絶望的になりました。伸びるモラトリアム。焦る私。

そんななか十勝のいくつかの町を訪問する機会をいただき、2泊3日でスケジュールを立てていたところ、帯広での予定がコロナによりキャンセルに。丸一日空いてしまうという事態になりました。仕事が決まらず焦る私の脳内に「遊ぶ」という選択肢はなく、頭に浮かんだのは前年のイベントっきり会えていなかった美佳さんのこと。そういえば帯広から大樹って結構近いんじゃ……あ、1時間で行ける!となり、早速美佳さんに連絡。美佳さんと同じ元・協力隊の亜沙美さんと大樹町役場の担当者(当時)だった藤谷さんにお会いすることができたのでした。

結局、これをきっかけにトントン拍子で話は進み、数週間のうちに私は「地域おこし協力隊」として、大樹に着任することが決まったのでした…。決まるときは、こんなにあっさり決まるものなんですね。(緊急事態宣言の影響などもあり、最終的に移住してきたのは9月ということになりました。良い意味でも、悪い意味でもコロナに翻弄された2020年でした。)

ちゅうるい

▲初めて訪れた道の駅ちゅうるいにて(除雪で積まれたとはいえ)あまりの高さに驚く

決め手は何か?ーフリーミッション型という強みー


私が最終的に大樹を選んだ理由は「自分のやりたいことができる

これに尽きます。

前編でも書いたように私は「せっかく移住をするのなら、自分で仕事をつくりたい。それも本に関することを」と心に決めていました。

大樹の協力隊は「フリーミッション型(企画提案型)」という他の地域ではあまり見られない形式をとっています。一般的な地域おこし協力隊は「観光協会に所属して町のPRをしてください」だとか「農作業支援をしながら新規就農を目指しませんか」だとか「地域の産物を使用した商品を開発してください」だとか「移住定住のプロモーションをしてください」といったミッションが掲げられています。一方、「フリーミッション型」は町から活動内容が定められるわけではなく、隊員自らが地域の課題やテーマを見つけて、活動していくというもの。美佳さん、亜沙美さんという素晴らしい実績を残したOGがいることからも、大樹では伸びやかに活動ができそうだというイメージがすぐに湧きました。

さらにいえば、大樹の協力隊は週4日勤務であることも大きかった。

3年先の未来を見据えて、起業を視野に入れている私は、協力隊以外の活動も最初から並行しておこなっていきたいと考えていました。そんな私にとって週4日は協力隊、それ以外の3日を別の活動に費やすことができるのは大きなメリットでした。実際に、雪が降る前は月1でオホーツクや札幌方面に足を伸ばし、雪が降ってからは別の仕事を週1でおこなっていたりと、かなり意のままに動くことができています。これは、大樹の協力隊でなければできなかったことだと身をもって実感中です。

協力隊の活動内容や(福利厚生を含む)就労条件は、各自治体によってピンキリです(本当にヒドイところはヒドイです、はっきり言います)。募集要項の文面だけを見て判断するのではなく、なるべくその土地を訪れたり、役場の担当者や現役の協力隊員、OBやOGと会って話を聞くことを強くお勧めします。

そんなこんなで、やっと、やっと大樹に辿り着くことができたのでありました。

現在6ヶ月目。半年という年月はあっという間です。
私が今どんな仕事をしているかはまた次の機会にお話しできればと思います。

長くなってしまった移住体験記。これにてお開きです。
ご静聴(ご高覧?)ありがとうございました!

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▲先月1月29日の大雪で家の前に山ができました(標高3メートル弱)

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