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八月十五日に「死の鉄道」が僕に教えてくれたこと。

僕は今年の八月十五日、終戦記念日を第二次世界大戦中に日本軍が捕虜を強制労働させて建設した「死の鉄道」で有名なタイのカンチャナブリーで迎えた。

日本で迎える終戦の日とは異なった視点で、いろいろなことを考えさせられる滞在だった。

十五日のあさに訪れた、強制労働によって亡くなられた方々の連合国軍共同墓地。そこには墓石1つ1つにしっかりと名前が刻まれていた。日本の学校や歴史の教科書、大学受験で重要だと教えられるのは事件が起きた年号や犠牲者の数。

でも、当時そこにはたしかに一人一人の人生が存在していた。たとえ名もなき人であったとしても、信念を持った生き様があった。

それを犠牲になった方の数字でしか捉えない、または学ばないのは過去の悲惨な出来事に目を背けるに等しい。

僕らのような戦争を知らない世代だからこそ、年号や犠牲者の数など数字ではかることができる容易な視点からではなく、約74年前の出来事を犠牲者一人一人の人生の視点から考えること、そして、二度とこのような悲惨な出来事を繰り返さないために、目を背けずに学び続けることが大切なのではないか。

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